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Column

ダグラス・フェアバンクス Jr

という男優がいた。この50年くらい一番好きな男優である。1909年生まれて、2000年に91歳で亡くなった。
 彼を最初に見たのは白黒テレビ時代のテレビで見た「sinbat the sailor」だ。あの明るさと洗練された身のこなし、美しく均整のとれた体躯に魅了された。中学生か高校生の頃だ。夢がない時代に夢をくれた気がした。ともかく、その頃は戦後15年かそこらで将来?
とは近づけば近づくほど夢がなくなるものであった。
 しかし、感動する映画は何となく夢をくれるものだ。直接的なモノでない、たとえば蝋燭の炎のようなもの、ちょっとした風で簡単に消えてしまう。そしてまた暗闇が少年の心を覆う。そう言われればこの時代の洋画は夢をくれたものだ。そして思ったものだ。いずれ映画のような人生を送るのだと。
 私は洋画を多く見たものでその夢は場所と強く結びついている。いわゆる、異国への憧れだ。その当時、外国とはヨーロッパを意味していた。映画やテレビで見る世界なので必然的にそこになるがターザン映画を観るとアフリカ?とはいかなかったが。
 
 ダグラス・フェアバンクスJrに関して面白いことに気づく。フェアバンクスの出演した映画に「絶壁の彼方に」と「ゼンダ城の虜」という映画があるがその二つの映画の舞台がなんと東欧の仮想国なのである。つまり、いまでいうウクライナやルーマニア、ボスニア・・・なのだ。 
 とくに「絶壁の彼方に」はまさに今の現実であるような話で、一人の独裁者の死に巻き込まれたアメリカ人医師の物語なのである。原題はSecret State このタイトルは二つの意味を持っている。一つはいわゆる西欧からしてみれば東欧の国々は内情が分からない国という意味。と、もう一つは国家を存続させるために秘密だらけの国という意味で。以前、ルーマニアにチャウチェスクという暴君の為政者がいたがそのような将軍であるニィバァ将軍の死の秘密をめぐる物語・・・独裁者ニィバァ将軍は死に至るような病気にかかっており、その国ではその病を治せる医師がいないので、その病の世界的権威の医師を呼ぶ必要に駆られた。しかし、大ぴらにその医師を呼ぶと将軍の健康に関して妙な憶測を呼んでしまうので、その医師の功績に対して国家がケプラーゴールドメダルを与えるという理由で招待したのである。その際にその国の医療の発展のための公開手術などをしていただきたいという条件であった。
英国で仕事をしていたフェアバンクス演じるジョン・マーロウ博士は同僚の医師の反対を押し切り単独でその国に入る。その国とはボスニアであるが、その反対した医師たちは多分、英国人なのであろう、ヨーロッパ人は本能的にその国のいかがわしさが何となくわかっていたのだろう。しかし、アメリカ人医師のマーロウにはそのあたりの微妙なニュアンスは分からないので独断でその招待に応じたのだ。
 その後が大変であった。手術の最中に患者は亡くなってしまい、人工呼吸補助具を取り外すとそれはニィバァ将軍であった。この国は将軍の力でまとまっている国,その死が知られては困るのである。それを知った部外者は殺すしかない。それからがカーチェイスを含めた追跡劇で最後はその国と他国分けている高山国境の絶壁を越えるのだが・・・今から70年以上も前につくられた映画とは思えないスリリングな映画に仕上がっている。この映画、そのままプーチンに置き換えても現在でも面白い映画ができそうである。
 
 「ゼンダ城の虜」はいわばれっきとしたアンソニー・ホープの書いた文学作品である。この作品ではダグラス・フェアバンクスJrは悪役として登場する。これも東欧の国の話でルリタニアという架空の国を想定しているが、オリエント急行でロンドンからその国に行けるようなので当時の路線図を見るとsimbachという都市があるのでそのあたりなのではないか?ドイツとチェコの間にあるというルリタニアなのだ。あの当時に生きていた作家なら書きそうな小説かもしれない。詳しいことは原書を読んでいないのでこれ以上書けないがこの物語に登場する、うり二つの二人の人物の存在はヨーロッパ王家の国を跨いだ結婚戦略を考えるとこれも考えられる話である―たとえば、英国国王ジョージ5世とロシア皇帝ニコライ2世もよく似ている?

 「吸血鬼ドラキュラ」もこのあたりと関連するのだろう?ブラム・ストーカーがこの本を発表したのが1897年であり、「ゼンダ城の虜」の初版は1894年というからどうもこのあたりのイギリスでは東欧になんとも言えない、未知の憧れとも怖れといえないものを感じていたのではないかと思われる。同じ頃フランスでは我がジャポニズムブーム真っ盛りだったが、その内容を見るとフランスとイギリスのお国柄が反映されたブームと言えないこともない。

 ダグラス・フェアバンクスJrの映画を観ると何とはないノスタルジーと共に彼が現代というよりその頃につながっているリアリティを感じさせるのだから何となく惹かれるのだろう。不思議なことにそんな昔に生まれてはいないのに何となく自分が体験した時代の様に感じるのはなぜなのだろうかと思ってしまうのである。
                            2023年3月13日T.I

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