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Column

元旦に想う:2024

 今年の元旦はまず、犬猫病院に出かけたことで始まる。娘の愛犬が年末に開腹手術をしたので、様子を見に行ったのである。数分しか会えないのにそれでも行きたがるのは飼い主ならではの心情からだろう。いつもと違う我が家の元旦だったが、その後にそれ以上の違いを演出してくれた能登半島地震と羽田空港の衝突事故である。波乱の幕開けだ。

 元旦の朝は家人が準備したおせち料理を食べて、雑煮を食べて、お屠蘇を飲んで始まるのが常だが、お屠蘇を一杯飲んだ途端にこれから車を運転して犬猫病院に行くことを思い出し、酒気を消すのに苦労した。こんな事は初めてなので仕方がない。無事、酔いがさめて運転にも支障もなかったようだ。
 それから家に戻り、私だけ初詣に行く。まずは建長寺。ここは元旦だけ入場料は無料になる。本堂で地蔵菩薩に手を合わせる。鎌倉五山の第一位でありながらご本尊が地蔵菩薩というのはまれである。わたしはそこがこの寺を日本一と思っている理由である。
 地蔵菩薩は仏像の位ではかなり低いらしい。建長寺ができたころ南宋からの渡来僧の兀庵普寧(ごったんふねい)は本尊に手を合わせる際にごねた。自分より位が低いご本尊などに手を合わせられるかということらしい。それをみた開山の蘭渓道隆どうしたか?
「まあ、ここは押さえて!(開山としての俺の顔をつぶすのか?)という気持ちだったろう。ここを開いた北条時頼の顔もつぶしたことになるのだ。とうとう最後まで手を合わせなかったと言われている。それ以来、この人物ごたごたとごたくを並べて何年か後、南宋に帰った。御本尊が地蔵菩薩ではなく阿弥陀如来ならかれは手を合わせたのだろう。なんとも成り上がりの役人のようである。
 私は建長寺を出る際に二枚の御朱印をいただいた。一つは建長寺のご本尊の南無地蔵尊のお札、そしてもう一つは建長寺の前身の寺院、心平寺の心平地蔵尊のお札である。前身とは建長寺の地は以前が刑場でそこで刑に処せられた罪人を弔うために心平寺という小さな寺があったらしく、その寺を含めた大きな寺を北条時頼が造ったということなのだ。その心平寺のご本尊が心平地蔵尊でそれも本堂の右奥に祀ってある。
今回そのことを聞いて遠くから手を合わせたのであるが、私のそのあたりの信仰心は今から60年近く前に亡くなった祖母の影響が色濃く残っている気がしている。祖母は私が眠るまで枕元で地蔵様のお話をいろいろしてくれたのだが、その話が楽しくて羽前長崎の茅葺屋根の家に出かけたものであった。
 兀庵普寧より格としては低い仏と言われるがブランド力では彼は地蔵菩薩の足元にも及ばないだろう。というよりそんな彼と比べることすら馬鹿げた行為の様な気がするが?
 ともかく元旦に地蔵菩薩の二枚のお札「南無地蔵尊」「心平地蔵尊」を受けて何となくいい年になりそうな気がしたものである。我が家の仏壇の脇にそれらのお札が貼ってあるが何となく仏壇らしくなったような気がする。
 その後、八雲神社に出かけ、昨年の飾り物等を返して破魔矢と「八方除」の札をいただく。これは本当に厄払いのお札で以前に触れたが我が家の三軒先が墓地だったらしく、そこの良くない霊を押さえるためである。このように前時代的な対策も講ずるのが正月のしきたりなのである。なにせ鎌倉ですから様々な怨霊が跋扈しているのですよ。この辺に関してはやはりキリスト教というより、仏教ですよね?あとは八百万の神・・・・?
                             2024年2月5日

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