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Column

音 楽

 生涯と言っても77年だが最も心を惹かれたものの最大のものが音楽だろう。
自分がいい音楽だなと思うものに境界はない気がする。どんな分野の音楽でも常にもう一度聞きたいという音楽があるものだ。
 私のスタンダードというモノがある気がしないではない。ここ何日かいつも惹かれるものがカーペンターズの「青春の輝き」I Need to Be in Love この曲はメロディーもいいが歌詞が抜群にいい。そして極め付きはカレン・カーペンターの歌だ。ともかく彼女ほどのボーカリストは奇跡の様な気がする。彼女が歌うと、何を歌ってもいい曲になってしまう。こういうのを天才というのかもしれない。
 ただカーペンターズを聴き始めたのはカレンが亡くなってからかもしれないので時代遅れのリスナーになるだろう。曲はお兄さんのリチャードが作曲しているが、編曲・伴奏などもしているのでこの二人の才能が生み出した世界なのである。そして素晴らしいその作詞はジョン・ベティスである。かれはリチャードと組んでカーペンターズの名曲のほとんどを手掛けているようである。したがってこの曲、詩、演奏、歌が一体となってあの奇跡が生まれるのだろう。
 そうはいっても笠置シズ子も悪くない。あの「喇叭と娘」はびっくりするような名曲である。調べると昭和14年に発表されたというから戦前の曲である。服部良一さんも凄い作曲家だ。古関裕而さんの「船頭可愛や」もなかなかいい曲である。この二人の活動期はほとんど同じで古関さんが1909年~1989年であり、服部さんが1907年~1993年であり、いわば私の音楽観はこの二人によって基礎は形作られたようである。
それからビートルズ、ベンチャーズ、次がカンツオーネそしてバッハ。最後にカーペンターズという順序になるようだ。少々変則的な経歴だがそんな感じだ。
 
 ただ、なぜ音楽か?で特記すべきことは私の母方の血が無類の音楽マニアが多いということだ。まず、母だが三味線は名人級で歌がうまい。母の兄は晩年三味線の個人レッスンを受けていた。また、母の弟がトランペットと歌がうまく、山形県庁の職員だったのでそのイベントでは常連の歌手であった。そして驚くべきことは私と兄である、全く違った環境で育ちながら兄はサックスとクラリネットを私はフルートとチェロなどの楽器をたしなんだ。しかし残念ながらプロはいなかった。ただ、母は若干稼いだかもしれないが?
 父は全くだめだったようである。母は生涯父が歌った唯一の曲「槍さび」を一度、聴いたくらいであったが、この父が歌った「ヤリサビ」という曲が都都逸ではないことが今、ヤフーで知ることができた!
 私の音楽遍歴の最後はBACHだ。正確に言うとクラシック音楽になるがこの分野は多分にヨーロッパの古典に魅かれたことからきている気がしないではない。考えてみるとBACHを聴くきっかけは楽器のチェンバロの音の魅力にあり、それが生きたあの時代を体感できるのが音楽であったからだ。というのはバッハの音楽は私を1700年代のケーテンやアイゼナッハに連れて行ってくれて、目をつぶるとその音楽の世界が再現されるからなのだ。また、ヴァイスのリュート音楽を聴くと、そのころのドイツの町や村をリュートを持って放浪している姿が思い浮かぶのである。もちろんヴィバルディを聴くとベネツィアの海辺の教会で指揮をしている彼が浮かんでくるという風になるのである。

 しかし、私が弾くチェロではどうもバッハは現れそうもない。最近思うのは楽器の選択を誤った気がしている。弦楽器は難しい!やはり、鍵盤にすればよかった?そうしたら10年もやれば平均律クラヴィア曲集の第一番プレリュードくらいは弾けたろうし。
それでもチェロも10年やっているのでBACHのチェロ組曲の第一番のプレリュードくらいは弾けるのだがそれも思ったようには弾けない。そして第三番のブーレはいくら練習しても弾けない。正直、これにはまいっている。
 原因の一つはフルポジションで弾ける練習していないからだ・・・?第一ポジションで弾くことしか練習しなかったことが原因で第二ポジション~以降はまったくわからないからである。しかしチャンスはあった。それはフルニエ版のバッハの無伴奏チェロ組曲の練習に入った際にフルニエの指番号通りに練習すればよかったのである。しかし私は毎週のレッスンに間に合わせるために第一ポジションでしか練習しなかった!そして、第一ポジション以外のフレーズになった小節は教師がポジションを教えてくれたのでそれだけを何も考えずに暗譜したのであった。しかし、それでも弾くことができた喜びはひとしをだ。
 苦労してその第二以のポジションを発見したのではなく、教えられた通りに押さえただけなので思考停止の状態で覚えたものであった。教師の方も私は趣味でやるわけだし早く弾くことができればいいだろうということからの最善の教授法であったのだ!
 しかしその方法では新しいどんな曲も第一ポジションでしか弾くことができなくなってしまう。その時のアドバイスは自分の弾きやすいポジションでいいですよというアドバイスだった。これが取り返しがつかない要因だった気がしている。なぜならば77歳の私にとって取り返しのつかないのは歳月である。どうだろう?仮に57歳としたら67歳までの10年でフルポジションをマスターできるかもしれないが?77歳で10年かかったらそれをマスターしても87歳だ??
しかし、やるべきだ、そうでないと理想のBACHに近づけず。悔いを残して黄泉の国に行かざるを得ない。善は急げ。死神につかまらないうちに逃げ切ろう!自分を信じてやるしかない。まあ、10年を費やした実績があるではないか?
                             2023年12月18日

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