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Column

豊田章夫社長の引き際の謎

 トヨタ自動車の名物社長の引退のニュースが一昨日の夕刻に駆け巡った。日本という国家の屋台骨を支える企業の社長の引退であるので大々的に取り上げられるのは当然だろうと思ったが、取り上げられ方が異様な感じがした、何となく事件のような扱いだったからだ。まさに事件なのかもしれない?
 かつての本田宗一郎のような気がしたものである。いわゆる企業の枠を超えた日本の社長という感じだからなのだろう。したがって、トヨタにはこれまでこのよう社長は存在したことはなかった。位置づけは違うが日産のカルロス・ゴーン以来のことか?
  
 豊田社長は本当に頑張っていた気がする。この人物、体を張って会社=日本を支えていた気がしている。プレゼンテーションも体を張ってやっていたし、その真摯さに胸を打たれた人は多いのではないか。それを裏付けるように商品である自動車も頑張っていた。
 しかし、利益率でテスラの足元にも及ばない事を分かっていた。なぜだろうかと考えて悶々としていたのではないか?事業構造が違うのだ。テスラは極端に言うと単一車種だけを大量に造り続けている企業であり、売れれば売れるほど必然的にコストが低くなる。
逆にトヨタは様々なタイプの自動車、それも部品点数が多いガソリンエンジン車がメインのトヨタがいくらトヨタ方式で頑張っても原理的に勝てるわけはない。社長はその原理的な問題を解決する方法を考え出すことは自分には出来ないと思ったようである。社長を下りるニュースの理由なのだろう?“私は古い自動車屋だから・・”というような言葉が目を引いた。

しかし、そのニュースと同時くらいに新型PRIUSが発表された。私はそのスタイリングに度肝を抜かれた。よくぞこれほどの自動車をつくってくれたな!これはドリームカーのプロトタイプではなく量産車なのである。私はこれが古い自動車屋の解答か?と思った。いずれ、この完全電気版が発表されるだろう。これはテスラ以上に売れるだろう!
これに比べるとテスラは鈍重な気がする。無駄な贅肉が付き何とも格好が悪いのである。それに比べるとPRIUSは古い自動車屋であるがゆえに知り尽くした叡智を込めた車である。この対比は豊田社長の最大の皮肉かもしれない。そして、それに以上の皮肉が2,3日して放された。
「トヨタ三年連続、生産量世界一!1048万台」、2位のフォルクスワーゲンは826万台、その差は222万台。この圧倒的な数値を見ると、古い自動車屋という謙遜は嫌味に聞こえてしまう。それにしても社長交代の理由としては社長の言葉は見事なまでの世界に冠たる日本企業の大社長を演出したものだと思った。
 そして未来に向けた布石として、この信じられないほどの見事なドリームカーPRIUS
のPHEVが来年の3月出ると言うではないか?その次はテスラと同等のEV車だろう。だが自動車が駆動方法での競争に始終している、限りトヨタの成長はないと、トヨタ社長は言っているのである。それは何か?それを託されたのがトヨタの佐藤新社長なのであろう。

私はこのPRIUSをベースにいわゆるフォルクスワーゲンの様に単一ブランドとして売り出すのではないかと思っている。そうすることでテスラ以上のコストメリットが生まれるし、事業の広がりも期待出来るのである。簡単に言うとPRIUSブランドはLEXASブランドと同じ扱いにするのである。
 テスラに対抗するには同等のスケールの事業体で競争させた方が効率が良く、優劣が分かりやすいのである。その間TOYOTAブランドは次のビジネスの世界を探索するのである。
その全体を見渡してTOYOTAを導くのが豊田章夫新会長なのではないか?
 いずれにしてもトヨタ自動車工業という会社は日本を背負っているという気概を持っている会社なのだなと思う。

 それに比べると我がHONDAはいまいちパッとしないな。新社長もいまいちパットしないし、業績も低迷しているし、軽自動車メーカーのようだし、それもなんら冒険をしない手堅く売れ筋だけを追いかけているせこい会社という感じがしている。何でこんな会社になってしまったのか?たとえば人型ロボットの先駆者であるはずなのに、その人型ロボットのニュースが最近、ホンダから出た事はない。ともかく何をやっているのかである。
 思うに最近のホンダは業績を落とすまいとして、それだけがミッションなのではないかと思う。ホンダの企業文化をあらためて見直し、ホンダを再構築する時期に来ているのかもしれない。今のホンダは本田宗一郎の遺産の一つである軽自動車のみを創って体面を保っている会社である。本田宗一郎はそれ以外にも多くのチャレンジ領域を示したはずである。私は昔、ホンダが経営戦略を考える専門家としてBCG(ボストンコンサルティンググループ)使っているのを知ってびっくりした。
 そして、軽自動車の開発で佐藤可士和を使っていることに幻滅した記憶がある。というのがホンダはそのあたりは自前でやったろうと思ったからである。外注を否定しているのではなくそのあたりに口出しをする意欲的な社員が多かったはずだし、それだけ自分の頭で考える社員が多かったはずだからだ。
 昔のホンダにはこのホンダを自分ならこうするという、社員(&役員)がいた…というよりほとんどこのような社員で構成されていたはずだった。それがホンダイズムというやつではなかったか?
 豊田章夫社長はトヨタイズムにあふれている。かつての本田宗一郎がいた頃を見る思いがするんだな!残念ながら。今の時代はそうではない?いや、今の時代だからこそなのだ。
                            2023年2月20日T.I

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