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Column

ロシアのDNA

 あと数日でロシアによるウクライナ侵攻一週年になる。この国は変わらないなと思った。
その理由をDNAにモンゴル人の遺伝子が濃く組み込まれているからだと思った。
 モンゴル人は日本人にとって親しい存在である。日本の国技を支えてくれている人たちだからである。いわゆるピュアモンゴル人は今の世界ではかつてのような存在になるのはなさそうであるが?現実的にチンギスハーンやクビライがいた時代のようなろうと思っても今の国力では不可能であるからだ。
ただ、その遺伝子は色濃く持っているに違いないし、ロシアを確実に蝕んでいる気がしないではない。ウクライナ戦争はその顕れでなくして何だろうか?

今月の5日の日曜日の朝日新聞の朝刊に「日曜に想う」というコラムがある。今回は?朝日新聞の記者が執筆している。大見出しは「鎌倉幕府における外交の不在」である。
結論は蒙古襲来のキッカケをつくった鎌倉幕府の無知無能を嘆いているという話なのだが、そのキッカケを外交使節として日本の来た彼ら5人を時の執権北条時宗が斬首したことを指している。
かれら5人の墓は藤沢市にある常立寺にあり、その墓から書き起こしている。
多分、筆者である若い?記者はこの寺を訪れて正使の杜世忠の辞世の句を呼んで深い感銘を受け、そんな判断をした鎌倉幕府とそれを命じた北条時宗の無能さを責めているという構図なのだが、このあたりの展開は古来?政府に否定的な朝日新聞ならではのアクションのような気がしてこの記事を切り抜いていたのであった。

この記者とは違い、この時の北条時宗の判断を正しいと思っている私でもこの杜世忠の辞世の句には心を動かされる。内容は「出門妻子贈寒衣 問我西行幾日歸 來時儻佩黃金印 莫見蘇秦不下機・・・家を出る時、妻子は寒さを凌ぐ衣服を自分に贈ってくれ、いつ帰ってくるのかと聞いた。 帰って来た時、もし黄金の印綬を帯びていたらば、蘇秦を見て機織の手を休めなかったことはないでしょう」斬首の寸前に正使の杜世忠の頭をよぎったことを想像してほしい。妻子のことが頭をよぎったその刹那を否が応でも思い至る。
たしかに正使杜世忠辞世の句を詠むと家族が永遠に帰ることのない父を待っている姿を思いうかべ、北条時宗はなんとむごい判断したのだろうか?と思うだろう。

ただ、北条時宗は高麗国がそのモンゴルと外交した結果、強国モンゴルに抗することができず国が衰退し、国民が苦しんでいるという情報を得ておりそれゆえの判断であったのだ。また、その外交という判断にはモンゴル側にもしたたかな計算があり、モンゴル軍は大平原を馬で自在に駆け巡るから強いのであって、船でもって他国を攻めるなどの非効率な侵略をどうしても回避しないととんでもないことになるという前提があったのである。
クビライの本音を読んだ北条時宗は断腸の思いで斬首したのであり、そのかれを無知蒙昧な国の元首であったというのはどうも違うのではないか?
時宗のその判断を識者(村井章介氏以外の学者)は禅で鍛えられた精神と知性ゆえだと言っているが、多分、その当時の鎌倉幕府は外交で事を治めるとモンゴル人が勢力を持つであろう九州や関西圏は幕府の手が届きにくくなるし、それに乗じて、特に都の京に力を持っている公家たちはモンゴルとも仲良くやっていけると考えているようなので、モンゴル人は現幕府を成り立たせても日本の半分を支配下におけるだろうと考えていた。と時宗は洞察したのである。
「使節を殺すなんて、ばかげた行為だとしか思えない」や「元寇が第二次大戦の下敷きになっている」という若い記者の見解は私言わせれば杜世忠の辞世の句に心を動かされた、短絡的な暴論としか思えない。

世界で一人の遺伝子が一番多く人類に行きわたっている人は誰か?つまり、一番、一人の男が女性を孕ませた人の事である。これは学術的な検証をした結果であるが、それはどうもチンギスハーンの様なのだ。というのはあれだけの国を支配下に置いたのでその国々の女を自由に出来たという事なのであり、その子供たちが子供をつくるとネズミ算的にモンゴル人のDNAは増大していくのである。
その本場がロシアなのである。プーチンの起こしたウクライナ戦争はそのチンギスハーンの軛なのではないか?私は北条時宗の判断は時代を1000年ほど先取りした判断だと思っている。したがって、ウクライナ戦争はこのロシアという疑似モンゴル人チンギスハーン国家の誤ったDNAの結果生み出されたのであったと言える。
今のロシアには外交という方法が存在しないのはDNAがそうであるからなのだから仕方がないにしても、いわばこのチンギスハーンの呪いを何とかしないと人類は幸せにはなれないだろう?チンギスハーンの呪いとは他国を武力で支配下に置くという論理である。

そう考えるとゼレンスキーは北条時宗かもしれない。いい具合に世界はこのロシアDNAに楔を打ち込もうとしている。期待したい!
それには一時の感情論に惑わされないで過酷ともいえる決断をするべきである。北条時宗のその判断を支えたのは禅で鍛えた、知と力ではないかと思う。しかしそれゆえ彼は34歳という人生しか送れなかったのだ。私たち日本人はその決断の上にいることに思いを巡らすべきだろう。
                           2023年2月27日T.I

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