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Column

メルセデスベンツ

 最近のドイツ車、特にメルセデスベンツを見ていると間違いなく世界をリードしているという気がしないではない。一応、自動車関連の職業に就いていたのでその頃の知識や価値観で判断しているのだが、特別な情報源をもってこんなことを思うのではなく日々のニュースを見てそう思うのだ。このテーマのきっかけはごく最近だが経済欄のニュースか何かにベンツ社が一回の充電で700Kmを走る の記事を見て、これは叶わないなという気がしたのだ。
 電気自動車の一回充電して何キロ走る?に対する答えはその自動車会社の技術力を測る最も確かな指標なのではないかと思う。それに関して残念ながら日本車は明らかに負けている。理由はハイブリット車で先鞭をつけた日本車はその成功の上にいわば安心しきっていたからだ。
ところがハイブリット車で勝てないと思った欧米の自動車メーカーが政治的な方法でハイブリット車を抹殺する手に出た。一種の地球温暖化ヒステリーの結果である。
 期限付きでガソリンエンジン車を販売できなくしたのだ。その中にはハイブリット車も入る。電気自動車ならどこの自動車メーカーも同じスタートラインに立てる。VHSとBETAの戦いの拡大版を選択し、日本メーカーの独占を政治的に阻止したといえる。
欧米のメーカーはハンディをもらった手前、そこに生き残りをかけている。反面、日本メーカーは懸命に電気自動車の一回充電で700Kmを達成しようと躍起になっている?
 ベンツ社は自動車を発明したプライドとしてハイブリットの技術を日本のメーカーから買うわけはいかった。そうすると安易だが手堅いエレクトリックに向かわざるをえない。ベンツ社は意外と簡単にその方針転換をやった気がする。これは賭けだな?と思った。しかし、そのプライドを賭けた競争の電気自動車の分野では明らかに世界を圧倒的にリードしていると言えるであろう。かれらはハイブリットに寄り道をしなかった分だけ早く着いたと言える。しかし、トヨタもホンダもその名誉ある寄り道はえらいと思う。今でもベンツ社はそれをつくることはできないのである。
 
 しかし、私がベンツ社に凄みを感じるのはデザイン力である。ともかく、デザインにおける駄作がない。どんなモノでもベンツ社の自動車は洗練されて美しいのだ。そして個性的で一目でベンツ社らしいアイデンティティを持っている。そのレベルの高さは他の追従を許さないだろう。ただ、それはベンツ社だけではなくドイツの他のメーカー、たとえばアウディ、VW,ポルシェ、(残念ながらBMW除外)皆素晴らしいのだ。これは50年前のイタリア車と同じである。どうも、自動車のデザイン力を含めた魅力は国家単位で変わるのではないかと思われる。昔はアメリカ車がそうだった。
 ただ、BMWのオーナーとしてはそこにBMWが含まれないのは残念至極であるが、ともかく今のBMWのデザインは地獄を見ているようである。この問題は会社の問題と思われる。また、イタリアの自動車業界の低迷は国レベルの問題ではないだろうか?
 そうはいっても時々、最近のアメリカ映画をアマゾンプライムで見ると結構、アメリカのパトカーのフォード製のそれはなかなか格好いいのである。ただ、日本で見かけないだけなのだ。ムスタングやダッジチャレンジャー、シボレーカマロなどもアメリカ人でなければデザインできない素晴らしい自動車で捨てがたい。ということでハワイではムスタングかカマロをと思うのだが家族を後ろの席に乗せることを考えるとやはりニッサンになってしまうのは家族旅行の宿命か?

 最後に私はベンツの自動車を買うことはないだろうと思う。なんか、肌が合わないのである。ああいう、権威的な雰囲気を持っているものは!肌が合うのはやはりHONDAか?
しかし、いまのホンダは軽のワンボックスカーしか造れないメーカーになってしまったので正直、恥ずかしい。私はワンボックスカーがどうも好きにはなれない。これは日本特有な現象なのではないか?たとえばウクライナから国外に脱出している車列にワンボックスカーを見かける事はない。それはいたってローカルな自動車なのであろう。
私の家の近くに6所帯が入る土地が売りに出された、1年後にモダンな6軒の戸建て住宅が出来た、住宅はそれぞれ個性的なのだが6所帯ともワンボックスカーだった。この選択を見てへー!と思った。SUVもあるはずなのにと思ったが、仕方がないか?
私は現在のBMWはあと数か月で15年間乗り続けることになる。先週、娘夫婦に一日箱根に行くというので車を貸した。戻って来た最初の感想。“この車の加速は信じられない!”今となっては小さくなってしまったセダンに3000ccのエンジン×4WD駆動。速いはずだ。その実感は近所のスーパーに行くまででは観念的な喜びだ。
我がBMW330xiに勝る車はないと今でも思っている。これは技術の問題ではなく、信条の問題である。
                           2022年10月24日 T.I

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