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Column

最近のニュース明(暗)

 最近のニュースで歴史に残るという明暗は?
明るい方では“オオタニサン“につきる。この方、フィジカルという点で日本人の規格を変えた人だ。私の時代のフィジカルは身長165センチの私だ、その時代では平均だったが今ではXSである。Sの下とは何?smallの下ということらしいが、Xは未知の概念を表すようなので、まあ言いようのないsmallということか。
先日、ネットでHARVARD UNIVERSITYのパーカーを買ったら一か月ほどして到着した。着てみるとなかなかいい。裏が起毛加工してあるので程よく暖かいのだ。本来、セーターじゃない時期の暖かい衣料としてこれまで持っていないアイテムだったので重宝しているがそれ以上良かったのがそのサイズXSの事実である・・・・世界標準で私はXSという事実だ。オオタニサンと並んで写真を撮ったとしたら、人類見本でネアンデルタール人と現代人のような扱いを受けそうである。

ニュースでオオタニサンのニュースがあると、また凄いホームランを打ったな?と思いそれを確認したくで最後までニュース番組を見てしまう。
“今日は上段に飛び込む120メートルの豪快弾!”それを見ると何となく誇らしくなる。
記録としたらイチロー選手が様々な記録を出した頃も同じようだったが、オオタニサンのそれとの違いはイチロー選手の記録はいかにも日本人選手ならではの記録であったからだ。
ところがオオタニサンのそれはそんな条件が付かない凄さなのだ。
 
 私の世代はことスポーツに関しては日本人の民族的なハンディを感じながら過ごしてきた感がある。1960年オリンピックのローマ大会の映画を中学2年生の頃、学校から見に出かけたが、その時感じたのは肉体的なハンディである。たとえば女子の体操などを見るとロシアの選手と日本の選手のスタイルの違いにどうしようもないハンディを感じたものである。ロシアの女子選手の体は手足が長く、美しかったので技では日本選手の方が素晴らしいと思っても何となく、いまいちロシアの選手に勝てなかった気がしたものである。
 したがって、たとえば点数で勝って勝てたとしてもなんとはない一抹の?を感じたものであった―本当はそんなことはないと言われてはいたが。
しかし、現在はどうだ、そんな事はなくなった。とくに新体操などは特別にスタイルのよい選手をそろえていると言われるがほとんど西欧の選手と同じである。となると次はその見劣りしないで肉体で勝てるか?の問題になる。
ベースボールのおけるに肉体的ハンディは美しさではない。まさに機能性である。走って、投げて、打つである。イチロー選手はそれが全てに備わっていた。投においてはあのレーザービームである。ライトから三塁ベースに走るランナーをアウトにできるのである。 
オオタニサンも同じであるが、イチロー選手にないものがある。それはパワーであり、
肉体的な優越性である。彼と並んで彼を凌駕する選手はほとんど見かけない。彼は背丈が高く、日々鍛錬を怠らないスポーツ選手らしい肉体を持っている。そして、顔が小さい現代の若者らしい姿を持っているのだ。フィジカル的にこんな日本人が出現するとはともかく私は想定していなかった。
 彼は精神のフィジカルも見事だ!どうみても好青年だ。スポーツ選手に期待する率直さや簡潔さを持っている。たとえばイチロー選手のような癖のある難解なことを言わない、スポーツ選手らしい答えがいつも返ってくる。
 それでいて自分を持っている。二刀流へのこだわりなどは凄い確信である。そして、それを追求したくてエンゼルスを選び、ギャラなんかは全く眼中にない。そんなスポーツ選手のあるべき姿を具現化してくれているのである。グローバルな視点で素晴らしい日本人だと思う人など滅多に表れないがこの人はまさにそれである。天は二物を与えないというがこの人は特別だ!
 私がオオタニサンのニュースを必ず見るのはそこに日本人のあるべきアイデンティティを感じたいと思っているからであろう。
今のところはこの人かな?村上春樹氏がノーベル賞を受賞したらそれはあるかもしれない?こちらはあと4ヶ月後を見よう?
 そして政治の世界のオオタニサンは是連スキー?×!ゼレンスキー大統領だな。彼はまさにウクライナのオオタニサンだ、希望と期待の星であるからだ。弾丸砲がもうすぐ使えそうなのでスタンド上段にぶち込んでほしい!こちらも期待大である。そして、チームが勝利する!
                            2022年7月11日  T.I
             

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