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Column

夢は枯れ野を・・・

・朝起きると、なぜか、こんな言葉が口から出た。夢は枯れ野を駆け巡る・・・
これはたしか松尾芭蕉の言葉だったような気がしていた?
そうかなと思い、スマホで調べるとそうであり、それは俳句だそうだ?しかし、俳句は575だろうと思ったが。どうも俳句らしい。松尾芭蕉くらいの達人になるとそんな区型は関係ないようだ。
・この句は芭蕉が亡くなる四日前に詠んだらしい。何となく想像がつく、死の床で詠んだ感じがするし、彼の人生を一瞬で凝固させた様なこの句には妙な作意を感じられない。それは造ろうとして、詠んだ句ではない気がしないではない。何となく己の死と言うモノを感じとったかれの口から無意識に出た言葉のような気がしている?
・かれの死に際は知らないが以前、連歌師宗祇を扱った小説(百枚の定家)で漂泊の果てに箱根辺りで亡くなったとされている宗祇の物語とオーバーラップした。
・人は死に際にその人の人生を一瞬にして駆け巡るというが芭蕉のその句もそんな思いを感じさせる。旅から旅への人生はまさにそうだろうなと思わせる句のような気がする。妙に言葉をひねくり回した俳句ではない、凄みがある句だ。そして、二百年くらい先取りした句のようだ。それには現代の実存主義者然とした俳人もビックリするのではないか?それ以上のその世界の事は分からない・・・?しかし、芭蕉のこの句にはそんな衒いを感じさせない凄みを感じるのだ。そう考えると名人と言われる俳人でも生涯で少ししか真に優れた句はつくれないのかもしれない。
・最近、よく建長寺に行くがそこにある国宝の名鐘の紹介で夏目漱石がつくった、この名鐘にちなんだ俳句が紹介されていた。
・「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」この文豪にしてはと思ったが、それを俳人の正岡子規が「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」を本歌取りした。何か冗談みたいは微笑ましい話である。個人的には文豪夏目漱石が本気で詠んだのかなと思ったし、正岡子規ならこの位のユーモアをやりかねないと思った。双方の文豪の遊びの精神が満ち溢れた逸話のような気がしないではない。

・それに比べると「夢は枯れ野を駆け巡る」はもの凄いリアリティを感じるし、その世界観に圧倒される思いがある。

・今考えるとその朝の言葉を言わせた訳は他でもない、数年前に亡くなった友人の夢を見たからであった。かれは私の隣に座り、これまでの打合せの様に現状の何かの話をしてくれていた。そこには、それを対面ではなく隣り合わせた席について話を聞いている自分がいたのだが、目が覚めて最初に出た言葉がそれだったのだ。いまでもかれは枯れ野を駆け巡っているのだという思いであった。そして自分もそうだった気がしていた。
・夢をもって枯れ野を駆け巡るのが人生と思えばそれはそれで納得ができる。その夢がかなえられようがどうかは関係なく・・・・!

・来月は彼の命日が来る月だ。そんなことを今気が付いたが、今回の友人の夢の原因は彼の残された倅の事についてなのではないかと思った。そんなことに気づいてラインで近況伺いをした。日時は先月の5月20日・・・・案の定こんなことが書いてあった

~諸々ご報告に伺いたいと思っていたところ泉さんから連絡があり、驚いております。

私の夢に友人が来たのはやはり、倅のことだったのだ。
・彼は息子の焦燥を知って私に連絡してくれたのだろう。こういう人なのだ、彼は。こんなことがあった。今回の倅のこととリンクする話だ。
以前、理事長と息子の面談を設定するという話になっていたが、私のA大学プロジェクトはすべて終了してしまったので、その辺の設定がやりにくくなってきた。そうしたら、ちょっとしたことから再来週に理事長と会う機会が生まれた。ということでその場で息子と理事長の対面の設定ができるという事なのだ。この段取りは偶然とは思えない?
・正直なところ私はその件について、もう関われないと思ったのだが、そうはさせないということかもしれないし、彼の気持ちとしてはやはり、母校の最高責任者に倅を見合わせたいと思っているのだろう。そして、それができるのは私しかいないのだから。
 
・今回の一連の出来事は人の死とはこの地球上のことであっても、世界の全てからの死ではないのだという事を気づかせてもらった気がしている。人生にズルはできないのかもしれない。夢が駆け巡る場所はこの地球上、日本だけではないという事なのだろうか?芭蕉はそれを最後に知った・・・・夢は枯れ野を駆け巡る。
                             2022年6月27日 T.I

 補足;本考は友人の夢を見た5月20日の早朝、起きて半分ばかり書いた後、保留にしていたのを6月10日にデスクトップを見て気づき書き継いだものである。

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