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Column

摩天楼

 アマゾンプライムの会員になっているがこの映画愛好家のためのサービスは映画好きな人にとっての価値は飛びぬけたものである。
 それこそ物心ついた時から映画好きな私にとって、新作を見られるということ以上に旧作の名画を見ることが何といっても興味深いものがある。「摩天楼」という映画もその一つである。
 古色蒼然と言った感がある「摩天楼」というタイトルはアメリカニューヨークの街の形容詞ともいえるが最近、そんな言葉はあまり聞かないというより死語に近い。摩天楼に代わる新用語は「超高層ビル」というような散文的な言い方が一般的になっている。
 調べてみると摩天楼とはskyscraperという言葉で表されるようなビルが技術的につくることが可能になりニューヨークにエンパイアステートビルやクライスラービルなどが建てられアールデコ様式のデザインが施されたビル群を表している。
語源のskyscraperは「空を削るヘラ」を意味しているので下から見ると確かにそれは空を削って見えなくしている感がある。
 したがって、摩天楼とは誰が造った造語か知らないが摩とはさするや撫でるという意味なので、さしずめ天を撫でるような、楼とは2階以上の高い建物を意味するので、よくできた造語であるが、その造語が日本語由来のものか、それとも中国語由来のものか分からない。ただ、摩天楼に関する語源に関してはどなたかが詳しく調べておられます。中国語で摩天というワードあるようですが、+楼はなかったので日本人の造語かもしれません。

 以上は本来の主旨ではない話で、本来はこの映画か問いかけた狙いなのです。この映画はなんとあの名優ゲーリー・クーパー扮する建築家の高層ビルの設計理念に関する信念の格闘物語なのです。
 私はデザイナーだったので、人の前で自分の作品がいかに優れたものであるのかをプレゼンテーションすることが重要な仕事の一つになっていた。それは自分の案を上手く説明しないと採用してもらえないからであり、採用してもらえないということは自分の存在価値の否定でもあるからだ。したがって、プレゼンテーションは設計やデザインそのものと同じくらい重要な仕事になると言っていいだろう。しかし、そんな仕事は非常に特殊なのでこれまでなんら人の口端に上がるような事ではなかった。
今でこそ、そのような行為を表すプレゼンテーションなる便利な言葉もできたので、BIZ REACHのコマーシャルでも使われ、門外漢の人たちにも日常語として浸透し始めている。
またそのプレゼンテーションの風景も最近のテレビドラマでは使われるので、多くの人が理解できるようになったといえる。
 クリエイティブな仕事と言うものは基本的に未知なるものを創造することなので、その価値や有用性を意思決定者に理解させるのは一苦労である。したがって、論理的に説明するのが基本になるし、その相手に合わせた論理を組み立てるのが重要である。

 摩天楼という映画の主題はいわゆる摩天楼と言われる高層建築のスタイルやデザイン処理の問題で高層ビルについての是非についての話ではないところがミソである。
 主人公は高層ビルという斬新な発想の建築にはその斬新さを表すデザインや材料を使った斬新なものにすべきであるという主張をしている建築家であり、最初はその主張が受け入れられず、仕事が来なくて建築家としてやっていけずに、石工に身を落とす。
そんな中でもその彼に仕事を依頼する人がいて仕事にありついたが自分の設計と違うものに施工されたのを怒り、自分でその建築物をダイナマイトで爆破してしまうといういたって過激な映画である。
その裁判が罪に問われないためには設計と施工が違うのは契約違反であるということと、その設計の意味する価値を裁判の中でプレゼンテーションするという最後のクライマックスで“創造”ということの価値を説くシーンが圧巻であるが、こんなことを映画にしたハリウッドというところは本当にすごいところだと妙なところで関心をしたところである。
最終的に彼は無罪になり彼の存在が社会に受け入れられて、いわゆるスター建築家になり、めでたし、めでたしの映画なのだ。それでも当時この映画がどのくらいの興行成績だったのか知ることはできないが、1948年の映画と知って愕然とする。つまり、いたって啓蒙的なモルモット国家アメリカを啓蒙する映画なのである。こうやって、アメリカは世界に先駆けることの価値を啓蒙浸透そして共有してきたのであろう。
だから、昨年、日本で開催したオリンピックにおける建築やデザインのゴタゴタは起きにくいのではないだろう?と思った次第である。

ただ、私は映画の中で主人公の推薦しているデザイン案は無味乾燥で決して好きにはなれなかったし、主人公が拒否していたアールデコ風の建築意匠の方がアメリカ的で優れていると思った。いわゆる主人公はコルビュジェ風の外観こそが近代建築にふさわしいといっているのだが彼の描いたレンダリング?完成予想図は今から見ると、いたってチープで良いとは思えない。かえって古さを感じさせる疑似モダンになっているのが何とも皮肉である。というのはアールデコスタイルのエンパイアステートビルやクライスラービルこそアメリカ的であり、時代を超えたデザインになっている。それに比べると摩天楼の主人公ゲーリー・クーパーの建築デザインはコルビュジェの真似事のようになっているからだ。
                                   泉 利治
2022年4月25日

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