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Column

原 監督

 あとで読もうと思い取っておいた新聞だったが、気づいた時は単なる古新聞になってしまう。それでも1面ぐらいは目を通してみるかと思い1月3日の新聞の中をぺらぺら見てから、興味深そうな一面の特集記事を読んでみた。
 「成長の未来図」のタイトルの見出しは「心の資本は十分ですか」。内容は熱意をもって仕事に取り組む社員の割合について日本は5%で世界の最低水準である―30%を超えるアメリカ、20%前後の北欧に比べるとその差は大きい。”考える力”が問われる時代に社員が仕事に情熱を持てない状況では企業は成功を望めないとある。
 そのわきに生活の満足度×仕事への熱意の強さのグラフが載っている。それを見ると愕然とする。いわゆる先進国で最低の位置にプロットされたそのグラフを見ると高度成長期に血気盛んな時代を送った世代には正直恥ずかしい結果である。これを読んで同じ新聞の社会面に「青学大2年ぶりに往路V」の見出しを思い出し、原監督に結びついた次第である。

 何年か前、青山学院のマネジメントコンセプトブックのつくることになり、私は原監督にインタビューする機会を得ることができた。このプロジェクトでは原監督の他に有名な方、たとえばかつて参議院議員で横浜市長の中田宏氏、サイバーエージェントの藤田晋氏、元文部副大臣の鈴木寛氏、欧米にTOFU(豆腐)ブームを仕掛けた雲田康夫氏、セブン&アイの会長の井阪隆一氏など、綺羅星のごとくの人たちに直にインタビューする機会に恵まれた。その中で最も有名な人物は多分、原監督であろう。
 私はそのインタビューをなんと彼が住む、あの有名な町田の青山学院大学駅伝部合宿所で行うという機会に恵まれたのである。インタビューの場所は駅伝の選手の食堂の奥のミーティングルームであった。原監督にはこのヒアリングの主旨が青山学院のマネジメントコンセプトブックを作るためのインタビューということから、経営に一家言持つ監督ならではの熱のこもった話を聞くことができた。
 
しかし、私が感銘を受けたのはインタビューもさることながら、この合宿所内に貼り出されたB全大の用紙に書かれた、駅伝の選手たち一人ひとりの今年の目標とそれを実現するための計画内容を書いた宣言であった。要するに青山学院の駅伝選手たちは自分を成長させるためにその目標や方法、自分の抱え課題、問題などをオープンにして、全員で共有し、それを実行することを日常にしているのである。その内容を見ると己を成長させて、チームを高みに持って行く方法について前向きに、客観的に公示?しているのである。
 こうなっていては全員が今年も頑張らなければならないであろう。要するに監督の力で尻を叩くのではなく自分で実現したい姿を監督や他の選手に知ってもらうことで自分を追い込んでいく、監督はそれに対して多分一緒になって、その選手を後押しするのであろうし、他の選手もその選手のために自分ができることを考え、そしてそこから学ぶこともできるのだろうという事なのである。
 かれらは駅伝がやりたくて超狭き門である憧れの青山学院大学に入学したのである。実際、他に駅伝が強い大学はあるが青山学院大学のそれは最も難関であると言われているらしい。その背景には選手たちの多くは自分の可能性をさらに伸ばすことができるのでないかという期待に応えてくれる大学ということが最大の選択の主な理由になっているようである。
それ以上にこの大学で駅伝をやれることが一番楽しいと思って入学したという選手がほとんどのようである。本来、駅伝は個の責任が何よりも重い競技のような気がする。全員が区間新を出しても一人が棄権したとしたらそのチームは敗退なのである。しかし、そんな悲壮感をこの人たちに感じることはない。みな幸せそうなのである。それは多分一人ひとりの心の内とその過程と結果を共有しているからなのであろう。まさにこの駅伝チームは4年間を人生で最も幸福な4年間として過ごそうと思っているのだろう。
 その主な原動力はやはり原監督の存在のような気がしないではない。現に原監督のコーチで自分の能力をさらに向上させたいという学生が多いと聞く。そのエッセンスは何かというと学生たちを信じている監督の姿勢にあるのではないか。それは結果ではなく駅伝選手としての自分を信じてくれている監督の下で自分は練習をしているという確信なのであろう。

 駅伝の中で原監督が車の中からマイクで選手をコーチングしている場面が映し出されるがその内容を聴くと単なる叱咤ではなく、その選手一人ひとりの事を知らないと言えない内容が多いことに気が付く。それは選手がその修羅場の中で忘れてしまいそうなことを一人ひとりに気づかせているような気がしたものである。選手は多分、そうだ、それは自分が自分に約束したことでもあるし、みんなに宣言したのだからみんなも期待しているだろうと想い起すことにつながるに違いない。
 走る選手の心に火を灯すような言葉をかけることができる監督が原監督なのであろう。

最初に戻ると日本の企業選手たちもそのようなことが仕事への熱意につながるのではないか?それは監督だけではできないだろう。ただ間違いないことは駅伝を通して一人ひとりが幸福になれる文化を学校、監督、選手たちが作り上げてきたことにありそうである。
                                   泉 利治

2022年1月31日

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