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Column

本の整理と回想

 この年齢ならこのようなことに無縁ではないだろう。自分が整理される前に自分につながる何かの整理を、と考えた末に手を付けたのは本である。ともかく、身の回りは本だらけなのである。背表紙が揃って見事な金文字であるような本なら価値がありそうである上にインテリアとしても価値があるがそんな本は残念ながら皆無だ。
 そんなことから出張引き取りが可能な時代になったのでダンボールを依頼して、もう読まないと思われる本を詰め始めた。と、思って箱を二箱まで満杯にして、CD関連も詰めて3箱まで行って4箱目までに行った時、マーケティングや経営書関連を詰め始めた時に?ストップがかかった。もう多分読まないだろうと思う分野と思ったからそうしたのだ? 
それは今のマーケティングは時代が変わって私が現役だった頃の知識など通用しないと思ったのが根底にあったからだ。また、これらの本を整理する目的は身辺をすっきりさせたいという事と私が死んだ後、残された人たちの余計な仕事をなくすためである・・・・・
・・しかし、自分の頭の中はこの本たちによって築かれている。
 
 もう少し考えようと思ってなぜこんなに本が多くなったのか、思い当たることがあった。それ以来、本に対する意識が変わったことは確かだ。高校時代に一回だけ休講した先生の代わりに来た、国語の先生がこう言ったのだ。
“勉強するには勉強する雰囲気づくりをすることが、まず、重要なのだ!その雰囲気とは何かというと勉強机の傍に本棚があって、そこにいろんな本があることだ。そこに行くと自然と勉強しようという気になるものだよ”
勉強嫌いでありながら勉強ができるようになりたいと思った私は、その提案に飛びついた。その上いいことに母親は本を買いたいのでお金が欲しいというと何も言わず要求額を渡してくれたのである。そうなると本屋に行くのが楽しくなった。そして、本を買うのが楽しくなった。しかし、成績は一向に上がらなかったが。それが60年続いた結果が現在なのである。しかし、ネット時代の本は私の目の前のディスプレイの中にあるのだ。

その先生の授業は一回きりであったが今となっては感謝をしている。ところがその休んでいた先生は鬼籍に入られたが当時、千葉の一宮町から通っていた関和一先生である。この先生からは考えてみれば私が生涯で追い求めるようなテーマを頂いた気がしている。彼は私にジョン・ラスキンについて話してくれたのである。
中学時代からヨーロッパに憧れていた私は当時、洋画を観ることでその憧れを紛らわしていた。高校に入っても洋画を観ることは続けられてはいたがなんとはない限界もかんじていた。当時、高校時代というのは社会に出る最後の学校というニュアンスが強かった。大学進学率が10%位の時代だったからだ。したがって、そんな追い詰められたものがあったのだろう。もう少し、勉強というより学生生活を楽しく過ごしたいと思っていた男の子にとって商業科の授業は味気ないものであった。
国語の先生である関先生はあまり雑談めいた話をしない先生だったのでジョン・ラスキンを話してくれたキッカケが分からないが、その中で先生の大学時代に何回か通った銀座にあったティ―ルーム”ラスキン亭“の話をしてくれたのである。
ラスキンに私淑した御木本隆三はイギリスにわたりオックスブリッジで学び、憧れの彼を偲ぶことができるティールームを銀座につくったので、先生は学生時代にそこでお茶を飲んだ話をしてくれたのである。そこのテーブルにはインクとペンと紙が備えてあって、だれでも何かを書くことができるようになっており、店自体もイギリスにあるような設えでともかく、自分の四畳半の下宿とは雲泥の差で、そこでお茶を飲みながら文学的なことを上質な紙にペンで書くことで文学的な喜びを覚えたというような話であった。高校生の私はそんな夢のような場所が日本にあるなんて信じられなかった。

そして私はそんな世界を導いてくれたラスキンとやらを探すことになったのだが、かれは確かにその後の私の教養?のベースになったことは確かである。ラスキンからターナーを知り、ヴィクトリア時代の絵画を知り、そこからシャーロック・ホームズに広がった。
ターナーは私をイタリア絵画やヴェネツィアへと広げてくれたし、シャーロック・ホームズは自分の生き方を実現する雑学の重要性や貴族的なライフスタイルについての知見を拡げてくれた。それらの世界に拡げてくれたのは本であった。
私の仕事はベーカー街221Bでホームズがやっていた仕事とよく似ていた。悩みを抱えている依頼者の話を聞いて、調査、分析、問題解決をして相応の対価を頂くコンサルタントだ。その一連の方法は私の独自なやり方であった。それ以上に優れたワトスンがいれば成功の確率は高かった。最後の仕事はワトスンが持ってきてくれた仕事であったが彼が病に倒れてしまったのを機に引退しようという気になった。そして、ミツバチでも飼ってみようかという気にもなっている、そんな場所に住んでいるのだ。カントリーサイドジェントルマンという生き方もその過程で知ったことだ。

しかし、待てよという気になった。半年後、死が訪れるか認知症になったとしたならば、これらの書籍は残された人にとって面倒なものになるだろう。しかし、あと10年位そこそこの頭の健康と体の健康が維持されるとしたならばこれらの我が人生を支え、育んだものをダンボールに詰めて処分するものではないであろう。もともと、本に囲まれた生活をしたかったからである!そうだ・・・・・ 
                             泉 利治
2022年2月7日

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