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Column

政治紋様

 本考では政治と宗教はふれないという暗黙のルールのようなものがある。というのは何となくこれが社会的というよりも良好な人間関係を維持する鉄則のような気がしているからである。それとこの政治と宗教というのは奥が深くて、正直、自分で納得できる見識を思っていないというところにその理由がある。ただ、そうはいっても本考でもそこを全く触れないで通り過ぎるのはむずかしい。したがって、差しさわりのない範囲、主義主張をしない範囲でなら許されるだろうか?という程度で書いてきたつつもりである。
 
この3日間の日本は岸田新政権、眞子さまの結婚、台風16号のニュースで占められていた。その中のメインは岸田新政権だろうと思われる。この誕生までのプロセスはゲームのようであり、総裁選びのドラマはまさにそうであった。その選抜方法での駆け引きが昨日あたりのメインであったが、話を聞くたびに政治紋様ということを感じたものであった。私は主義的に保守本流であるので今回の結果に関してはいい落としどころだったなという感じであった。
 私が保守本流になった理由をいろいろ考え合わせるとそのルーツが資本家と労働者という対峙する関係で、どうも育った環境で自身が資本家側にあったからではないかと思っている。しかし、資本家が常に豊かで、優位にあったかと言うとそうではない。戦後の高度成長期は貧乏な資本家を強大なイデオロギーで武装した労働者が虐めたものである。多分その経験が幼児体験としてあったようだ。
 ところが世界に目を向けるとその国を二分する政党の構造が資本家と労働者という構造ではないことに気づいたのはごく最近のことである。例のトランプ大統領が誕生した時であった。トランプはお金持ちでどうも資本家らしい、その証拠に保守党に籍を置いているではないか?つまり、その構造からアメリカの保守党は資本家側、民主党は労働者側という単純な?間違った理由でオバマ民主党より良くなるに違いないと思ったのであった。  
だが?時間を追うごとにこいつは(トランプ)とんでもない奴だと思うようになった。よく話を聞いてみるとアメリカの保守党とはいわゆる資本家なのだがアメリカの奴隷を使って豊かになった白人の資本家であることが分かってきた。いわゆる、アメリカ南北戦争における南軍がどうもそのルーツであるのだ。では、民主党とは?というとニューヨーク州マサチューセッツ州などを根城にしていた北軍なのである。主義的には新興の資本家かたちである。この党は旧弊な社会を改革するためにアメリカをつくろうとしている人たちなのであり、その思想的バックボーンはピルグリムファーザーズといわれる人たちなのである。そのような人たちは理想国家アメリカをつくろうとしてここアメリカ大陸に来た人たちであったので、奴隷を使って自分たちが幸せになるという社会構造とは発端から違う人たちであったのだ。まあ、戦争になるのは仕方がない。
つまり、アメリカの二大政党とは基本的に資本家VS労働者ではなく、国家を成り立たせる方法論の違いによって、南軍と北軍に分かれて戦争になったということになる。そしてその基本原理は国家を在り立たせる経済基盤と国家創設の違いによる戦争と言える。
その点において日本の二代国内戦争である。豊臣VS徳川の戦争や薩長VS徳川の戦争とは少々違うようである。
70歳を過ぎてこのあたりが分かったことは問題だが?この発見はあらゆる国の政治の起源論という私の得意分野の話になってきたのである。北軍側にしてみれば人間の奴隷を使って豊かになる国家を作りたいがためにアメリカくんだりにまで来たのではないというのが本音で、理想国家を作るというコンセプトの対極にある考え方である。

個人的には日本の政治体制も二大政党が選挙によって交替できる状態が理想的であると思っているが日本では自由民主党が圧倒的に強く、野党がどうしようもなく弱い。野党が政権を取ることができた理由は自民党が自滅状態になった瞬間ぐらいしかなく、自力で政権を取れるというような状態でないのは問題である。日本の野党の言動を見ると、この人たちには国を任せられないと思っているのは私だけではあるまい。日本の野党が自民党の揚げ足取りくらいのことしかできないのが現状であるのは寂しい限りであり、奮起を期待したいものである。
ただ、その分、自民党の中でそれが行われていたのが今回の四人の総裁候補戦であったのではないか、したがって、その中で国民は何となく健全な選挙が行われたという健全性を経験しているのである。党員票や議員票はいわばアメリカにおける大統領選挙人のような位置づけで何となく、それは二重の安全弁のような役割をしているようである。

日本の政治体制を考えてみると日本はその長い歴史において3つの政権が支配していた。
始まりは天皇&公家、次が武士、その次が民である。天皇政権→武士政権→民主政権であり、歴史的に見ると天皇&公家の時代が一番長い・・・飛鳥+奈良+平安時代が700年以上あり、その次が武士政権の時代でこれも700年近くある。そして民である民主国家の時代はたかだか150年である。その歴史が色濃く表れているのが官僚の存在である。よく官僚が政治家を操っていると言われるが、現代の政治機構の中でも官僚は天皇制における公家と同じ働きをしているのである。その点で武士が支配していた時代の方が本物の様な気がしている。鎌倉幕府などは真剣に武士が国家運営を根本から担おうと考えていた。歴史で習った御成敗式目などは独創的で見事な国家運営の法典である。

国としてアメリカの歴史は短いが民主国家になった意味から見ると日本より100年位先輩になる。それゆえ、今の憲法はその先輩から押し付けられた・・・?ということなのであろうが・・・・この世界は私のような門外漢が語るにはどうも複雑すぎるのでこのあたりにしておこう。                              
泉 利治
2021年10月18日

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