70年目のロードショー
確かな記憶として確実に観た最も初期の映画は「ローマの休日」である。70年前なので
私は10歳(昭和31年小学3年生)の時で場所は大森である。家の近くに映画館があってそこで「ローマの休日」を観たのだ。調べると
「ローマの休日が日本で最初に映画館で上映されたのは
・昭和29年4月21日~4月30日
・佐世保市内の「富士映画劇場」である。
そして、ローマ休日が話題になり、2年後の昭和31年に東京の映画館で上映された事は十分ありえる話である。では、どこの映画館であるかを調べると
「・大森銀映座(大田区入新井4―55)
・大森ヒカリ座(大田区入新井6-21) 」
当時、私は3年ばかり大森の入新井に住んだのでこの近所にあった上記の二つ映画館の
いずれかで観たと思われる。
それ以前は山形で母に連れられて邦画や洋画を観た。母はどちらかというと邦画の方が好きだったようであった。洋画を見始めたきっかけは親しくしていた舞鶴荘の女将さんと一緒に観に行ったことで見ることになったと後年に聞いたことがある。100年近く前の天童温泉の名旅館の女将さんならではの好みなのだろう。
“天童おばちゃん”と呼んでいた女将さんは母が亡くなった時もまだ元気でお悔やみの電話をくれたくらいなので亡き母にとって唯一の友だったようである。
考えてみればその人は間接的に私の洋画の楽しみを教えてくれたようであるが「ローマの休日」は映画に対する私の自我の目覚めを教えてくれたのだ。
小学生であった私はうまいやり方で映画を観る方法を考え出した。その映画館には足元に空気口があって場所によっては空気口からスクリーンが見えるので、子供の目線から混雑していない限りただで映画を観ることができた。
ところが「ローマの休日」はそうはいかなかつた。いつも混んでいたので見ることができなかったのだ。だが、よくしたものでこのヒット作を母と一緒に見ることができたのである。お金を払って。大森の銀映座か?ヒカリ座で・・・・そして70年後の昨夜、自宅の自分のデスクのパソコンディスプレーで見ることができた。
「ローマの休日」の公開はアメリカで1953年8月27日、日本が1954年4月21日なので8カ月後に日本で封切られたことになる。敗戦の気分も癒えて敵国の映画を楽しめる余裕が出たのだろう。というよりだれが見ても楽しい映画なら、それはそれで楽しめばよいということになったのだろう?
このテーマを書くきっかけになったのは「恋愛専科(ROME ADVENTURE)」を見たからである。恋愛専科は私世代のローマの休日である気がしないではない。ただ、恋愛専科の方はローマ市内だけではなく、ローマ郊外からマッジョーレ湖に浮かぶイソラベッラなども含むイタリアの名所をバスとスクーターで旅をする点において、イタリアの魅力を余すことなく映し出し、白黒映画でしか知らなかったイタリアをカラーで伝えてくれた点で素晴らしい作品に仕上がっていた。
双方ともスクーターの運転はグレゴリ・ペックとトロイ・ドナヒュー同乗者は
オードリーヘップバーンとスザンヌ・プレシェット・・・わが青春の一コマ?
2026年2月16日T>I













