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Column

さらば2025年

 2025年12月31日午前5時11分。本年最後の考を書き始める。それは70代最後の考になる。今、このような考をかけるということはまだ健康で、いくらか意欲が残っている証である。あと半年て80歳になるのでそういう点から言っても書くことに何らかの意味を見出せるかもしれない。

 70代最後の年は久しぶり仕事をした年であった。対価を得る仕事としては10年ぶりかもしれない。それこそこの仕事は今年の1月17日から始まった。青山学院の堀田理事長に青山学院のマネジメントシステム構築を依頼された私たち・・もう一人は故古澤浩一氏である。
生え抜きのビジネスマンであった理事長は自分の仕事として青山学院に経営マインドを導入することを望んで古沢氏に相談したのであった。また、母校を愛していた古沢氏は青山学院を時代を先導するような学校に生まれ変わらせたいと思ったのである。
 そんなことを可能にすることができるのは。ということで私を推薦したのでああった。当時の私はいわゆる経営戦略立案等の仕事をリタイヤした立場で安穏とした日々を送っていたので改めて仕事に、それも初めての学校の経営戦略を考えるということに一瞬、躊躇したことを覚えている。一般企業と学校法人はあまりにも違いすぎる。
 その上、私は正規の大学教育は受けておらず専門学校の経験しか知らない。確かに義務教育+高等学校までの一般的な学校教育であると認識していた。ただ高校は商業科だったので職業訓練校といえそうである。そして、私はその後にデザインスクールに通い3年間勉強した。そこで学んだことは基本過程と専門課程で、専門課程では自動車のデザイン開発を勉強した。そして、その後、デザイナーとして就職し、13年間HONDA グループの技術研究所でデザイン開発、その後、マーケティング会社で20年間、様々な企業のマーケティング戦略の立案やそのための調査研究の仕事に従事してきた。その中では生理用品のマーケティング戦略を立案したこともあるし、料理もしないのに調味料のマーケティング戦略やブランド戦略を構築した経験もあるので最後は“まあ、何とかなるに違いないということにして、面白いかもしれないと思うようになった。

 しかし、ガチガチの青山学院は一筋縄ではいかなかった。まず、調査研究としてその組織が何を実現しようとしているのか、という組織目的を確認するためにあらゆる職層の人の基本認識を確認することからスタートするものである。私たちはそれに関して公的に述べているポリシーなどを確認し、それを実現するために組織が、そして個々の人たちがどのようにしてそれらを実現しているのかを確認しようとした。
基本的にそのようなことはこれまで一般企業のプロジェクトでも試みる方法である。この課題はその組織の既得権益に絡む問題でたとえばこのようなプロジェクトの主導者が誰かということで決まるものなのである。
 運がいいことに依頼主である堀田理事長は会社経営で頂点に上り詰めたような経営者であった。私たちの提案を柔軟に受けとめてくれた。お陰で私は青山学院をひとつの企業としてとらえてその組織の経営環境を良くするというミッションを遂行することに決めた。
最初に何をやるべきかは青山学院のアイデンティティを明確にして、経営という観点からその組織を明確に定義すべき、これまでの歴史を紐解き問題点、課題点を明確にした。
 
その時に中心に置いた価値観は良好な経営環境とは何かを明確にすることであった。
私は歴史を紐解いて学校経営にとってエポックになるような出来事や人物を洗い出し、それらについて良好な経営とは何かを明確にした。ただ、その中で一番厄介なことは宗教的なものをどうとらえ位置づけるかであった。わたしはここは宗教法人ではなく、学校法人であるという順序で考えてことを進めた。
 学校法人は優れた教育を施すところであり、宗教が教育を超えた存在になってはいけないという立場で様々な分析、立案をしたのである。それで行きついたコンセプトが「The
 AOYAMAGAKUIN Company ]であった。学校を優れた企業体として見て、経営をすることがめざすべきことなのだ。ということであった。
そのコンセプトは運よく有能な企業経営者であった新理事長のエールにもなった。また、敬虔なキリスト教徒でありながらも有能な理事であった桑原氏にも追い風になった気がしないではなかった・・・このAOYAMAGAKUIN COMPANYは物議を醸したことは確かであった。とくに宗教関連の学部長には・・・・?

 いずれにしてもこのプロジェクトはどんな企業プロジェクトをも超える勉強になったプロジェクトであった。ただ、文科省にとっては歓迎されたプロジェクトになったようであった?とは言っても当のプロジェクトでは校内に多くの敵を創ったらしく、白眼視をされ一時は構内への自由な出入りもできないことにもあった。やっぱり学校というところは反りが合わないと今でも思うことがある。
 わたしはパートナーの古澤氏が亡くなったことを機にプロジェクトを去ることに決めた。ただ、ここでの経験はそれまでの経験のすべてに匹敵するような価値あるものになった。

                             2026年1月1日T>I

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