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建 長 寺

 久しぶり建長寺に行く。正月以来か、としたら11カ月ぶりになる。今年の7月24日に行く予定だったが野暮用が入り行けなかった。確か蘭渓道隆開山の何らかも催しがあった気がしていたのだ。しかし、肌寒くなったこの頃になって出向く機会ができてよかったと思っている。
 出向くことになった理由はホンダで働いていた時の先輩で有能なエンジニアであった人が病魔と闘っているというラインが入り、いてもたってもおられなくなり建長寺に快癒のお札をもらいに行き、ご本尊の地蔵菩薩に手を合わせに行ったのであった。
 私と同年なので来年80歳をむかえる。考えてみると我々の年齢では当たり前に起きることである。今日、彼あてに送る予定である。御利益はあるに決まっている。
 
 新らためて建長寺のHPを見るとここは蘭渓道隆その人のおおらかさとスケールをもった寺であることは分かる。

 福山は揮ての松関を掩じず、無限の清風来たりて未だ已まず

 建長寺は巨福山にあるので、蘭渓道隆はそう言ったのだろう。確かにこの寺にはそんな明るさがあり、おおらかさがあるのだ。開山して、純粋禅をもとめる人が集まり、中国からも多くの僧がきてあの時代で千人以上の僧が修行に励んでいたと言われているが嘘だと思うなかれ、建長寺正門を過ぎて半僧坊まで登ってみると、よくわかるのだがその間の山道界隈は全て建長寺なのである。したがって、今でも人家やそこの人たちの自動車が止まっているが、それもそのはずでいわば山全体が建長寺なのである。それなら千人の人たちが建長寺にいたということもありうることだと納得できる。
 蘭渓道隆は本当にスケールの大きな人であることを感じる。彼は日本という国に禅を寝ずかせるために来た人物で当時の姑息で小心者の武家共の小心極まりない所払いを受けてこれ幸いに京都、東北、甲州で禅を広めたのであった。私は蘭渓禄を読んで蘭渓道隆の生前の説法を目の当たりにできるが一言で言うとカッコいい説法なのである。そしてその根底には太陽のような明るさと温かさがあると言っていい。
 そう考えると建長寺のおおらかさは始祖の蘭渓道隆の精神が息づいているからと思えてしまう。かれはまさに今もって無限の清風でわれわれの心を逞しくしてくれているのである。蘭渓道隆を私が好きになったのはその人間性からです。禅の凄いところなのでしょうがあの時代の蘭渓道隆の言葉の一つ一つが残っているのです。いわゆる議事録が生の言葉で、彼の言葉をそのまま筆記する僧がいるのです。
千人もの僧が建長寺で修業をしていたらその何人かは志を遂げられず病気で亡くなる修行僧もいたろうと思います。その僧を火葬する際に火を点ずるのはトップの蘭渓道隆であったようです。その際、彼は目的を遂げられず亡くなった修行僧に対して一人一人生前の活動をキチンと述べられ火を点ずるのです。その言葉もきちんと残っているのですが、その内容はまさに人と人の心が通ったものなのです。1000人もいた僧をキチンと回想して言葉を述べたその内容が素晴らしく、また、故人はその瞬間、蘭渓道隆という高僧からこのように思われていたのだという、最高のはなむけの言葉として喜んだのではないかと思ったのです。私はその彼の人間性がゆえに彼についてもっと知りたいと思い、その手掛かりを求めてよく建長寺には足を運ぶのです。
                                   泉 利治

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