昔、働いていた会社の同僚から忘年会のお誘いがあった。毎年、あるがやはりうれしいものである。今回は丸の内インペリアルロードの中ほどにあるスペイン料理のレストランであった。私は懐かしさからその日を楽しみにしていた。その場所が気に入ったのであった。ここには私の人生の幾ばくかを支えたものが詰まった場所だったからだ。
それは60年前に遡る。その頃のこの道はいわゆるビジネス街の通りとして名前であった。私にはその場所が今でもなんとも青春の一コマとして強烈に意識しているのは言わば、人生の微かな希望をはぐくんだ場所だからである。
デザイン学校に行った、私は自分がデザイナーになる現実感を想像できずに、その道に店舗を構えていたロイヤルコペンハーゲンの店舗にデザインの勉強のために足繁く通ったからである。この店に来るとここは食器店ではなくデザイン・・・グラフィック、プロダクト、アートなどの勉強の場になったのであった。したがって、陶器だけではなく、金属食器などのフォークやナイフ、スプーンなどもあった。もちろん、ジョージ。ジェンセンのものである・・・だが見るだけで買うわけではない客ということなので店の人はどう思ったかわからない。この世界はいわゆるプロダクトデザインのジャンルであった。確かに私はインテリア・プロダクト科の学生であったのでそれでよかったのだが?なんともわからない世界を放浪していた。
そのうちインダストリアルデザインという言葉に何かとてつもない可能性を感じた。
あの当時、新興のジャンルであるいわゆる工業デザインの世界はまったくポピュラーなデザインカテゴリーではなかった。しかし、新しもの好きの私はその希少性ゆえにクラスでもそれを公言するようになった。しかし誰もその世界について知っている人はおらず、ただ言葉遊びの世界であったのだ。
ところが私はその道に満足できるほどの静謐な神経の持ち主ではなかった。面白いことに山手線を越した反対側でもう一つの道であるデザインの世界を知ったのである。そこにあったのは工業デザインの世界を紹介する情報であった・
銀座のイエナ書店は三愛側の晴海通りに面した、現在、ベルサーチかボッテガべネタのあるあたりにあった気がしている。あんなところに洋書専門店があるというのもあの時代の銀座らしい話である。
どういうわけか、というよりやはり、家が新聞販売業を営んでいたということもあるのだろう。普通の子たちより世界の情報に関して特別優位な世界にいたことにあるのだろう。
当時の毎日グラフは特別号として自動車ショウや世界の自動車を載せた特集号を時々出版したのであった。私は運よくそんな雑誌をよく学生の時から目にすることができたのである。あの時代、テレビもない時代から私はマセラッティやポルシェを目にしていたし、246沿いにあった中古車店でアストンマーチンDB-2をバスの中から見ながらデザインスクールに通ったのであった。そんな私がイエナで STYLE/AUTOを目ざとく探し出し、大枚4000円を支払い購入したのは単なる気まぐれではなかったのだ。
しかし、その科目を教える教師は学校にはいなかった。そうこうしているうちに卒業時期が近づいてきて、私はなんら当てもない宙ぶらりんの状態で社会に放り出された。それでもまあ、いいや?と思ったのは音楽を少しやってみたいと思ったからであった。バッハの教会音楽に魅かれたのであった。わたしは家業を手伝いながら、そしてアルバイトをしながら音楽に没頭していった。
2024年12月22日
丸の内インペリアルロードの回想
25.12.15













