偶然というか、僥倖というべきか?私が庭付きの一戸建ての家を古の鎌倉の風情が残るところに持つことができて、40年近くになる。
その前の目黒の家はいわば商家だったので目黒通りに面した、20坪程度の小さな土地に建てた3階建ての家であった。商売を辞めてここに住み続ける理由もないことと、結婚して女の子を授かったことを機に子供を育てるのにふさわしい場所として選択したのが鎌倉であった。
鎌倉は母の墓があり、何かと身近な場所であったからだ。ただ、都内に職場があったので通い切れるのか?心配であった。それでも、何とかなるであろうということと、良い物件が見つかったので今の土地を手に入れた。
まさに鎌倉の前に古いが着く「古鎌倉」というような場所であったが一目で気に入ってしまった。出来るだけ庭を多くとりたいということで東側を広くとる家を設計したのだ。
そして、庭にはポプラを植えたいと思った。ポプラはヨーロッパノスタルジーを感じさせたからであった。
庭師がポプラの若木を探して庭の一等地に植えた。しかし、庭師はポプラについて、そんなに深い知見をもたなかったようであった。何か?その成長速度である。それこそ1.5歳で住み始めた娘の成長より早かった。
しかし、このポプラは私のヨーロッパへの郷愁をさらに強くしたことは確かである。仕事で海外に行く機会が増え、とくにヨーロッパには家族で行く機会も増え、家に戻ってきてもそこはヨーロッパの飛び地のようであった。ただ、それは私だけではなく見知らぬ人が我が家のベルを鳴らし、我が家のポプラを見るとヨーロッパやカナダを思い出すのですと、遠い昔の体験を語ってくれたということもあった。確かに鎌倉でポプラの木など見かけることないし、一見、ヨーロッパの一軒家のような家の庭に植えられたポプラなど見かけることはないからであった。見知らぬその人は見知らぬ家のベルを押してまで自身の想い出を語りたくなるような力をもっていたことに驚いたが、私と同じような人はいるモノだと思って妙に嬉しかったことを覚えている。
しかし、その喜びはそう長く続かなかった。成長が早いポプラは我が家の庭では支えきれなくなったのであった。それまで、我が家のポプラを見上げて感嘆する人が多かったが、その内、これだけ高くなっては危険ですよという声も大きくなったのであった。
道を歩いている人もその大きさに恐怖を覚えるようになっては?と思うと、いつ、大風が来て倒れ、道を塞ぎ、自動車や人に危害を加えたら?というような心配をするようになって、仕方なく切ることになった。そうは言ってもこれだけの巨木を切るには特殊な車両を呼ぶなどの手立てがいるということだったが、出入りの庭師が・・・そんな車両を呼ばないでも人力でやってのける庭師がいるので来てもらいましょう?ということでお願いすることになった。案の定、一日かけて根元からポプラの巨木を取り去った。最後に根を腐らす薬を撒いて仕事を終えた。そして、ポプラの後に家内の念願の桜を植えて、すべては終わった。今ではその桜が春になると見事に庭一面を覆って美しい景色を演じてくれる。
ヨーロッパの景観から純日本の景観へ我が家の庭は変質してしまった。そして最近。その桜と寄り添うようにミモザを植えた。これはいわばポプラノスタルジーのような気がしないではない。
2026年2
月9日T>I













