世の中に「方位取り」と言う概念があることを知ったのは35,36年前かと思われる。正確に言うと私が42歳の頃である。つまり、人生の大厄年の時である。
そういえば、当時、あまりのツキのなさに人生にはこんなこともあるのだということで諦念の気に日々苛まれていたというのが正直なところだった。そんなときに亡くなった母の知人に池袋の占い師を教えられ、そこに行って相談したらよいのでは?ともかく、よいアドバイスをもらえるということであった。
取り立てて行かない理由はないし、池袋はその頃は通勤ルート上にある場所でもあったので、言われた住所を頼りに出かけてみたがその占い師の家はなかった、そして、教えられた場所には性病科の医院があるだけであった。予約の時間が迫るし、どうしたものか考えていた時、ふと、その性病科の医師の名前を見ると占い師と同じ名前なのである。
?ここがそうなのかと、意を決して性病科の医院のドアを開けた。この姿を他人が見たら多分、あの人は何か良からぬところで良からぬ病気を移されたのだなと思われるに違いないと思ったが?
待合室には人がいる様子はなかったが奥の方で人の声が聞こえる。どうもここらしいということで15分かそこら待機した。中年の女性がドアから出会てきて、そそくさと帰っていった。少しして私が呼ばれた。ただ、そこは診療室と言う風ではなく、何か書斎のような感じの部屋であった。本棚には医学の本に交じって占い関係の書籍らしいものがあり、机の上には地球儀が置いてあった。そして、占い関係の何らかの書き物が額縁がかかっていた。
この占い師は平日が医師で土日が占い師のN氏であった。私の症状?を聞いて、目的を聞いた。そして、私の年齢や職業、住まいなどを聞いた。そうして、今度は何か分厚いハードカバーの本を広げてみて確認し、メモ用紙に書きつけた。
その時の私の周辺は私の離婚騒動と末期がんの母の看病という二重苦の状況でどうしたものか?と言う相談だったので、その時は現在の状況が今後どうなるかと言うこと、と、どうしたら良いかと言うアドバイスであった。
今、考えると彼は二つのことを述べた。一つは君は南の方が吉なのでその方に積極的に出かけるとよい、それと母の余命についてであった。
目黒に住んでいた私にとって南の方とはまさに現在住んでいる鎌倉なのである。私はその占い師の言う言葉に従って、現在の住まいを決定したのであった。
また、末期がんの母は医師からは余命半年以内と言われたが2年間の命をもらったのでその後も何かと占い師がなくなるまで何回か相談に行った。ただ、その後においても何かと相談事はあるものであり、どうしたものかと思っていた頃に出会ったのが、あの占い師がその中核に置いていた占いコンセプトの本であった。
彼の占いのコンセプトがどうも方位学であることが分かったのである。つまり、かれは四柱推命のもろもろのパッケージに方位学を付加して彼の独特の方法論をつくりあげていることが分かったのであった。
方位学である。その後、N氏が亡くなり、じゃあ、「新宿の母」にでも見てもらうか?でもないし、困ったものだと考えていた時に出会った方位学。この占いの方法論は自分の未来を変えられるという能動的な人生転換論なのであった。
例えば手相や生まれた日、名前の字画から占う方法論は人の運命は決定しているという前提にそれを解き明かし、いい策を講ずるというモノである。つまり、決まった宿命を回避して違う道を講ずるというものだが、この方位学は人間、誰もが持っている運を増大させて人の運命を好転させるというモノであった。
実践的方法論は毎月めぐってくる、自分の幸運の方角の「気」を浴びるということで、その月の間にそこに何回か通って、何時間か過ごすのである。私はその方角に出かけてよく読書したものであり、ただ漠然とパイプを吸っていたりしたものであった。毎年、毎月、自分にとってベストの方角は変わるので、注意深くカレンダーにでもつけておいて日々の生活の中に組み入れて実践したものであった。究極の選択はその方向に家を買ったことだが確かにその決定は今考えても、信じられないくらい良い運を与えてくれた気がした。
たとえば私は職業に恵まれた、人生の重要な時期に社会的に必要とされた仕事をして、注目され、日々忙しい時を過ごしたし、それに見合った見返りを得たものであった。それ以上に最高の伴侶を得たのもその後の運が影響しているかもしれない。
10日前に78歳になったもう先はない?自分の人生を振り返る機会が多くなる時期である。私が何回か前にこのコラムで「学歴と職歴」を書いたが、ビズリーチのない時代?いい転職をしたものだと思ったがそれがどうも方位学ではなかったのではないかと思ったのであった。正直、いい転職の良い運が方位学によってもたらされたのではないか?ということに気づいたのであった。私はある若者にこの知識から得たアドバイスを与えたがうまくいってほしいと思っている。人が幸せになるのを見る時ほど嬉しいことはないからである。
2024年7月1日