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Column

光子と清張

 このタイトル、妙に思わせぶりだなと思うかもしれませんが、光子とは日本で初めて正式に国際結婚を、それもヨーロッパ貴族とした日本人女性であり、清張とはその光子についてそれらの結婚にまつわる華やかな部分に疑いを持って、いわばでっちあげなのではないかという視点から本を書いた小説家の松本清張氏のことです。

 クーデンホーフ光子の人生は奇蹟のような人生で、たしかにこの本を読まずにいわゆる、光子について伝え聞いたことだけを鵜呑みにして考えると清張さんの様な疑念が浮かぶのも分からないではありません。
 たとえば伯爵にしてオーストリア・ハンガリー公使のクーデンホーフ氏と結婚して、日本を去る際に天皇陛下や皇后の晩餐会に呼ばれて、贈り物をいただき、オーストリアに向かう途中でローマに立ち寄りローマ教皇に会われてお土産をもらった…あの当時にですよ?清張さんでなくともデマだ!と叫ぶ気持ちもわからないではありません。
 私でさえ光子の手記だけでそれを信じるわけにはかない?と思うかもしれないし、清張さんが健在なら、この手記自体がでっち上げの産物だ!と声高に言うかもしれない。しかし、これすらバチカンの記録係に聞けばローマ教皇がいつ、だれと会ったかの記録は調べることができるだろう。そうすると清張さんは多分、その言を引っ込めざるをえなくなるに違いない。

 というより光子という人間がこんなでっち上げをなぜ?やるのかということの意味の深さ、暗さが清張さん独特の文化なのですね。というのはだれでも人間とは自分をより以上に見せたがる宿命を持っており、そうせざるを負えない業をだれもが持っている。したがって、綺羅星のような人生をおくったと言っている人間を白日の下にさらしたいという異常なまでの使命感が彼の創作の原点にあるのです。
 清張作品でも特異なドキュメンタリー小説である「暗い血の旋舞」は光子がオーストリアの社交界の華であったなんて嘘に決まっている、その証拠に社交界の場での写真など一枚もなく、洋装だけはしているが一人だけ写真館で撮ったものばかりではないか!ということを残された写真を基に推理しているのだ。
 でもあのシシィことエリザベート皇妃が社交界の華であるとわかるような写真などを見たことはない?それは当時の社交界の暗黙の約束事なのか?それとも物理的に写真機の機能上の問題なのか?現在のカメラならフラッシュなしで室内の写真が撮れるかもしれないが1915年当時のカメラ機能では不可能だったのではないか?また、一般的には撮影禁止のルールもあったろう。清張氏はどのような写真を期待していたのか?
 私は清張氏の「暗い血の輪舞」を読んだ時に彼の名作の「ゼロの焦点」や「砂の器」を下敷きにしたような言いがかりの様な気がしたのであった。双方とも現在の栄光を維持するために過去の不都合な事実を隠さざるを得ない人間の弱さをテーマにした物語であるが、清張氏はクーデンホーフ光子の光輝く現実は想定外、それも清張氏の筆では描き切れないようなスケールの栄光だったのだ。したがって、何とかしてクーデンホーフ光子の嘘を暴こうとして懸命になったのだが・・・

 「クーデンホーフ光子の手記」の目的はパパことクーデンホーフ伯爵という人間を7人の子供たちに知ってもらうために書いた伝記物語であり、その偉大なパパに助けられて生きてきた母、光子の回想録である。光子という人間は自分を立派に見せるために己を針小棒大に語るような資質を持っていないような、いたって正直な女性である。それはひとえに光子の育ちの良さとそのような裕福な家庭で育てられた素直さゆえの結果であり、運よくそのような光子という人間に対して、たとえば明治天皇のお妃である昭憲皇太后もローマ教皇も好意を持たれたのであろう。光子の育った家は牛込区にある一区画を占める大屋敷であり、それに比べると近所にあったクーデンホーフ公使館はその何十分の1くらいの大きさなのが面白い。

 この手記は子供たちに読ませるためかドイツ語で書かれているようだが訳者のシュミット眞寿美さんはだいぶ苦労をされたようだ。それでも18か国語を話す夫の下で光子は勉強しドイツ語、英語、フランス語等を話されたようではあるが、そのほかに西洋の社交界などの様々な知識を我が物にするために信じられない努力をしたと思う。日本から船と汽車等でオーストリアに帰る旅程を読むと、少なくともツアー旅行以外で海外旅行をされたことがある人ならその独特な苦労が想像できると思われるがそれなどを乗り越えて半世紀もヨーロッパで生き抜いた彼女の精神力に頭が下がる思いがしてしまうし、それでも健気な彼女に頭が下がる。しかし、清張さんは一筋縄ではいかない人だから、この手記もでっちあげだというかな?

 一晩寝て気づいた!清張さんは仕掛けていたのだ。今回のケースは彼の記念碑的作品「ある小倉日記伝」と同じになったのだ。つまり、主人公が苦労して書き上げた。鴎外の失われた小倉日記が失われていないで発見された言うことと同じなケースだったということだ?あー!今回は参りました。まさに、死せる孔明、生ける仲達を走らす。でした。
                              2023年11月20日
 
 
 

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