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Column

SUNSET 77

 タイトルから自虐ギャグになってしまった記念すべき日、もっとロマンチックに?というより文学的に言いようがある気がするが、昨今の吾輩の状況は真にSUNSET77である。
 今から60年以上も前のワーナブラザース社制作の人気テレビドラマで、ロスアンゼルスのサンセット大通りに事務所を構える探偵事務所に持ち込まれる事件をテーマにしたもので、確か日曜日の10時位から始まった連続テレビドラマである。
 この少し前はアメリカの30分テレビドラマがゴールデンタイム、たとえば夜の7時30分に放映されて高視聴率を稼ぐ時代だったのだ。子どもたちは競ってみたものであった。たとえばスーパーマンなどである。夢はアメリカから来た時代であった。今から考えるとそれらはアメリカの政治的なプロパガンダのような気がしないではないが?いたって素直に育った私は?その手にマンマと載って大変なアメリカ好きになってしまった。
 そんな子は安保反対で国会に乱入するはずはない。そんな思想的エリートには育つはずはなかった。なぜならばその後、ローハイド、パパは何でも知っている、ルート66、・・・などアメリカの素晴らしいテレビドラマの世界の中のアメリカで育ったからだ。
これらのテレビドラマは何と、あの当時の一般的な子供たちを洗脳しただろうか?しかし、その体験は今では宝物のようでもある。おかげで過激な政治的思想に染まることもなく世の中の穏健な人物となって77歳を迎えたのであった。

 その常識的センスゆえか?総理大臣が倅を秘書官にするまでは若干疑問符をつくものをも許したが?総理官邸での私的忘年会のいくつかの行為はは許せない。それにしても最近世の中を騒がしている著名人に慶應大学を卒業している人物が多いのはどうしたわけか?多いと言っても市川猿之助氏と岸田翔太郎氏だけだが?私学の最高学府で何を学んだのか?
確かなことはかれらは小学校時代にスーパーマンを真剣には見なかったろう。正義の味方を見て育った子供では考えられない行動なのである。事件があまりにも幼稚すぎるのだ。
上記の人物の一人は30歳代、もう一人は40歳代。将来を確実に約束されたこの二人にについて、庶民とは異なる価値観を持ったモンスターのような気がしないではない?

それ以上に想うのは情報過多、自由尊重、個性第一というような世界の中で人間を形づくる時期を過ごしてきた人間のこれまでにない出現の様な気がしないではない。未知なる新しい時代には新しいタイプの人間を必要とするのは確かであるが、その準備を社会が持つ前にそれらを準備できない世界において、その社会の未来に責任を持つ人間をどのようにして育てるのか、どのような環境を準備するべきなのか?

そう考えると少なからず思想的に穏健ながら、社会を豊かにするために創造性が最も重要なのだと教えられた私たちの時代の人間はまだまだ一石を投じなければならないのではないか?ネット時代の神器のスマホを親指では打てないが、これからの社会をより健全で、創造的なものにする叡智は残っているはずである・・・SUNSET77からSUNRISE77へ向かって。

二日前の6月1日から就職の内定を出せるようになり、その人たちが2?万円台の初任給をもらえるのに、その得られる短期的なベネフィットと長い人生においてその選択が長期的に自分にとってそれ以上のベネフィットをもたらすのかを天秤にかけて決定することがこれかららしい。どのような選択をするのか?
昨日の新聞か?ネット記事に今どきの若者は東大に入るより専門職の資格を取ることの方が重要と考えているという記事を読んだが、確かに東大は帝大ではないのである。決してバラ色の未来を約束してはくれなくなった。もし、私が親戚の子から質問されたのなら、東大に行くなら海外の大学に行きなさいと進めるだろう。そこには学業の他に異なる文化の中で生きていく学びがあるからであり、それだけでもその若者ならではの能力を身に着けることになるからである。
私は大学ではなく、専門学校を選んだ人間だが、今から考えるとその選択は間違いではない気がしないではない。面白い仕事ができた上にそれなりの時流に乗った納得できる仕事を手掛けてそれなりに見返りがあったからだ。納得できる仕事・・・社会的価値のある仕事=それは顧客企業が経済的価値を生み出して、業績に貢献できたことである。その意味するところは創造的な価値を創出したことに外ならならない。
デザインやマーケティングや戦略立案という仕事を抜きにそのような仕事に私などがかかわれることがなかったからである。水平線の彼方に太陽が沈みゆくとき、一つでも納得できることが頭の片隅にあればそれで十分である。
                            2023年6月12日T.I

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