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Column

足利義詮について

 小説もどきを書いているが早く物語を先に進めたいと思っても、どうしても予期しない人物に引っかかって先に進めないということがある。

室町時代と言うのは何とも締まりがない、華のない時代のような気がしていた。シンボリックなものと言えば、金閣寺と銀閣寺くらいで鎌倉時代の元寇のようなドラマチックな出来事もないし、武士が初めて政権を取った時代というような新鮮な魅力もない。
人物もさえない。源義経のようなスーパーヒーローもいなければ、一応、ヒーローかもしれない金閣寺を作った三代将軍足利義満はそうなるかもしれないが、武家の棟梁らしくない上に、女癖が悪く15名に近い側室をもっていても、これと思う女が目に付くと人妻であろうとその立場を利用して通じてしまう。昼よりも夜が主戦場のような将軍でどうにも好きになれない。確かに何十年にわたり世の中を騒がせた南朝VS北朝のごたごたを収拾し、平和と繁栄をもたらした実績はあるが?
初代の足利尊氏は鎌倉幕府を倒し、新たな政権を確立した創業者であるので、室町幕府といえば足利尊氏は最も知名度が高い。
そんな意味からも創業者の足利尊氏、金閣寺の足利義満、銀閣寺の足利義政、この三人が室町幕府の御三家になるであろう。

だが、私は二代将軍の義詮になんとなく魅かれるものを感じるのだ。なぜならば初代将軍の倅であり、三代将軍の父であるという義詮を調べれば調べるほどこの人物なくして初代尊氏の偉さも、三代義満の凄さも成り立たなかったのではないかと思わざるを得ないからなのだ。
人生の4分の3を情緒不安定で躁鬱症の尊氏に振り回されて仕え、ともかく父尊氏の体面を繕ってきた。その体験のみが義詮の教育といえた。普通なら次の時代に国家を背負うであろう人物の教育を粗末にできるわけはないであろうが。「その親にしてその子在り」というが?親がダメなら子もだめか?しかし、初代将軍足利尊氏に関してはその人物評をその時代の超一流の人物と言えるであろう人が評している、夢窓疎石である。
そのかれが足利尊氏について、三つにまとめている。
一、心が強く、合戦で命の危険にあうのも度々だったが、その顔には笑みを含んで、全く死を恐れる様子がない。
二、生まれつき慈悲深く、他人を恨むということを知らず、多くの仇敵すら許し、しかも彼らに我が子のように接する。
三、心が広く、物惜しみする様子がなく、金銀すらまるで土か石のように考え、武具や馬などを人々に下げ渡すときも、財産とそれを与える人とを特に確認するでもなく、手に触れるに任せて与えてしまう。
この疎石の尊氏評はどうもかなり的を得ているようで、私も納得せざるを得ないのだ。つまり、尊氏とは信じられないくらい純粋で、ずるさがない。本音と建前などというしたたかさなどは微塵もない武将であった。それに比べるとその天敵と思える後醍醐天皇はその反対のような人物のような気がしないではない。

 私は義詮が誰から帝王学を学んだのか知りたかったが、よもや情緒不安定な父尊氏からか?ということに対しては納得がいかなかったのだ。
 そんな事から父尊氏から帝王学を学んだ義詮を証明するような根拠を探そうとして、
ネットから始まり、様々な文献を当たったところ、この尊氏、義詮、義満に仕えた、いわばブレーンとも言ってよい管領の斯波義将の「竹馬抄」にヒントが見つかったので紹介したい。以下現代語訳で紹介する。

一、まず、自分のことを考えてみても、親の配慮をうるさく思い、その教訓にそむく事ばかり多かった。しかし、たとえ愚かな親であろうとも、その教訓に従っていさえすれば、天地の大道に外れることは、まず、ないものである。
   まして、親の言葉というものは、十中八九は子どもとして考えても、もっともなことである。このことは私自身も反省しているところで、かつてはうるさく、これにそむくことばかりを考えていた親の言葉は、今にして思えば、みな大切な事ばかりである。
   他人のよいことをまねするよりは、まず、愚かな親のまねをせよ。それであってこそ、その家の家風を受け継ぎ、誰それの子孫として重んじられるのである。※1

この言葉はかみしめれば深いものだ。この記述をもって足利政権を、足利義詮を考え
ると何となく分かる気がしないのではない。単純な倫理観や功利的な論を超えたもの
を感じるのは私だけではあるまい。
この根底にあるのは個としての一人ひとりよりも、その一人ひとりが連なった連続と
しての家というのがあり、それが大事なのではないか?したがって、足利義詮を考える場合その視点なくして正しい評価はできまい。そして、義詮はその言に違えることなく自分
の役割は果たし、行動し、生きたのである。私が義詮に惹かれながら分からなかったこと
の解になったようである。                   2023年1月23日 T.I

※1 「武家の家訓」吉田豊 編訳 徳間書店/昭和47年12月25日 発行
*本書は多分、45年くらい前に買った本でそれが本棚に横積みされていた。斯波義将という名前などを知らなかったら目に入らなかったし、絶対に気に留めないので見落としたで
 あろう。何かの縁である。

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