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Column

Driving Mr.97

こういう事件が起きる度に何となく肩身の狭い思いをする。しかし今度こそはいくら私でも97歳でまだ自動車の運転をしているとは思えなかった。もし、これが逆の話なら、あと21年も運転できるのかという希望の光になったろうが?

 良識ある識者は問題の本質は自動車がないと生活ができない今の社会システムに原因があると言ってはいるが、紙の上の話としてはそうだろうが話のすり替えとしか思えない。どうも社会に問題があるという解決法はことの本質を複雑な坩堝に放り込み何年たっても解決ができるわけはないのではないか。
 ことの基本は自動車というハードの問題とそれを操る運転者の問題である。自動運転がこれだけ進化をしていることを考えると、歩道を走る自動車を走れなくすることくらいできるだろう。また、アクセルとブレーキの踏み間違いはアクセルとブレーキを右足だけで操作する現在の自動車の構造が問題なのではないかと思う。
 昔のゴーカートみたいに右足でアクセル、左足でブレーキにすれば、いくらボケても右利きの人がボケて左手で箸をもって食事ができないのと同じような論理になるのではないか?
そう言えば昔、ホンダの同僚で普通のオートマ車をそのように運転していた人がいたが、意外で便利でレスポンスが良かったという感想であった。しかし、何年かしてその運転が原因で車が故障してしまった!その当時の車では無理だったのだろう。まさかそんな操作をする人がいるわけはないということが前提で作っているのだから?いずれにしてもわが身の問題なので早く、ハードの問題として解決してほしいものである。

老人にとって自動車は単なる足だけではない。自動車を自在に操って動けるという事はどれだけ生活と人生を充実した楽しいものにしてくれるかである。それを一時の感情と妙な社会正義の建前の下で70歳になったら免許証取り上げるべきだというような暴論はいやはや困ったものである。
その前に悪事を働く血気盛んな自動車運転を難なくこなす男たちの犯罪を少なくすることを考えるべきだ。だいたい振り込み詐欺で自動車運転の心配な老人をだまして金を巻き上げる男たちを何とかすべきであろう??
何となくぼけ老人軍団とチープ男子軍団の戦いのような話になってしまったがこのような話になる背景には現代の情報発信の容易さが背景にある気がしないではない。現代は一時のサイレントマジョリティーなるものは全くいなくなった。現代はノイジーマジョリティーの時代なのである。ただその行き過ぎから、身元の分かる人のみが意見を言うことができるようになったのはいいことである。
ただ、その逆もあるので中止しなければならない。その主催者の都合の良い情報だけをアップしてそうではない意見を無視する。公平性の視点から載せるべき意見も削除するようなロシア政府のような主催者もいるので注意しなければならない。
以前そんな目に遭って抗議したらお詫びのメールと共に問題解決をしたが、判断する側もたとえば、その運営側の委員会のような場で協議して判断するのではなく、単なる一担当者の判断で白黒つける場合がほとんどのような気がしている?つまり、この投稿が個人的理由でたまたま気に入らなかったらスポイルするのである。したがって、そのペナルティが永久的なモノか、半永久的なモノか、1カ月なのかその査察官?の胸先3寸なのであるようだ。自動車運転者に対する暴論もこの手の中に放り込まれたらとんでもないことになるだろう。

本題に戻って97歳の運転者はどうなるのだろうか?わからない。ただ、罪は罪なのであろう。本人の姿が足元だけ映し出されたが正直おぼつかない足取りだった。私はこの人物歩くこともままならないのではないかと思ったし、たとえば自転車に乗れるのだろうかと思った。健常者でも加齢の結果、自転車に乗れない人の運転は無理なのではないかと思う(私自身のベンチマーク基準)
 私自身は自在に自転車を操れる元気なうちにヨーロッパで運転してみたいと考えているのだが国によっての年齢制限があるかもしれない。でも、あと4年は問題ないだろう?

 私の理想は自動車運転が生きがいになっているような老人が無理なく運転が可能な社会である。早くそう、なってほしいものである。
                            2022年12月4日 T.I

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