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Column

古都鎌倉はいいことばかりではない

「本考は6月13日に掲載する予定だったが、3か月後に気づいたので掲載することにする。」

 自分の人生は自分でコントロールできるなどと思ったらとんだ大間違いだ。
自分の人生でありながら自分の人生ではないのかもしれない。私は隣家の御不幸があった昨年にこのテーマのエッセイに書いているのではないかと思い、本考のファイルをめくってみた、そうすると昨年10月4日に「忌中」というタイトルで突然、隣家を襲った御不幸について書いていた。
 家と言う視点でとらえた家族の最小単位は2人になるので隣家も我が家も夫婦二人暮らしなので家族の最小単位であった。しかし、どちらかが亡くなると家族とは呼ばれなくなる。仮に子供たちがどこかで所帯を持っていたならば、厳密にいうとこんな会話が成り立つことは確かである。
「ご家族の方はいらっしゃらないのですか?」
「たしか、息子さんが東京の方に住んでおられると思いますよ。」
いわゆる、観念的な家族ということになるが事実は上記の通りであろう。だが、現実の家族は明らかに物理的に家という物理的な概念の下に二人以上の人が生活をしていることで成り立っている。したがって、そんな二人のうちの一人が亡くなると、家族が消滅し、家もなくなると言っても過言ではない。
 以前、住宅会社のマーケティング戦略を6年ばかり担当したので基本中の基本として、家とは何なのか?家族とは何なのか?を考えたことがあったことを思い出した。丁度のその間に現在の家を建てたので何とも不思議な縁でその二つはつながった問題として考えたろうが、正直、今回のような考察はした記憶はない。

 今回こんなことを考えたのは隣家が引っ越すことになったことを知らされたからである。
家は売却し(未定のようだ?)奥様は施設に入るようである。面倒なことは二人の息子さんが全てを取り仕切ったようであり、残された奥さんは二人の家族のどちらかと暮らすのではなく施設に入るという選択は核家族化という下での一般的な選択であろう。
 それにしても隣家に住んでいた主人公の二人にとってゴールデンウイークを今週末に迎える、去年の今頃、そんな一年後を想像しえたろうかを考えると愕然とする。
「そうなのよ!誰もが自分の人生なのだが来年の今頃の姿など全く分からないのよ!」

 その日は午後から小嵐のような天気になった。我が家の奥にある中央公園でGW恒例のフェスティバル「谷戸まつり」が開かれていた。丁度、小雨が止んだとき公園に行く。なかなかの盛況で屋台が出ており、餅つき・・谷戸でとれたもち米を原料として、おはぎなどを作り販売していた、よくある焼きそばやホットドッグも販売している。
 午後三時ごろチャイムが鳴って、誰か来たようである。多分隣家の奥さんだろと思った。二人の息子さんと引っ越しの挨拶に来たのだ。隣に35年住んでいながらほとんど交流がない家であった。その奥さんはこれまでほとんど人を寄せ付けない人であった。以前、わが家の庭にあったポプラの葉が落ちると言って、木を切ってくださいと文句を言うような人であったのだ。或る時など、わが家の庭から出る葉っぱをまとめて袋に入れて、わが家の敷地の中にこれ見よがしに置くような人であった。それ以来、私は落葉の時期になると吸引式のマシーンを買って毎朝掃除をするようになったのだが。まあ潔癖なまでにきれい好きなのか?近所付き合いを徹底的の拒絶する人であったのか?
 それに比べるとご主人は普通に挨拶出来る人であり、落ち葉の不満なども言わない人で定年になって家にいる時など・・・たとえば昨年はわが家のヤマモモの実がタワワになった際に隣の庭から木の枝を切ってくれるようなことがあった。が、ご主人はその一月後にどこか転び、それが原因かと思われる硬膜下出血で3カ月後に亡くなった。
 
 突然の逝去で思い起こすと我が家のヤマモモを切ってくれてから一月もしないで、手に包帯を巻いた彼と出会った、ぶつけて骨にひびが入ったとのこと、私たちは気を付けてくださいねと挨拶をして別れた、その数週間後、私は買い物袋を隣に置いて玄関に至る階段の下で座り込んでいる彼を車の中から見かけたのである。階段を上れないようであった?
 あとで聞くと彼は転んだ際に腕だけではなく、頭を打ったらしく、そのようなことが体力をも奪ったのかしらと不思議そうに話してくれた奥様の傍で元気な頃の御主人の笑顔の遺影に何とも残念でならないきがしたものである。
不思議なことは、昨年の1月11日付の「去年は最後にさんざんか?」予測が的中したことである。そして、次は我が家ということが現実化したのである。これを笑って済ませるほど私は肝っ玉が据わっていない。
そんなことから一昨日、新たな事実が分かる。我が家に連なる4軒の家を襲う恐怖の原因であるが、この地に50年以上も住む古老から聞いたのだが、わが家の4軒の家の土地は以前墓地であり、ひどい話なのだが墓地のお骨を納棺する空間に水がたまるので墓地でも使えない土地であることが分かり墓地を移動し、そこを整地して住宅地にしたという話であった。昔から住んでいた人たちはあのような土地に住んだら、ろくなことはないと言われていたのだ!
もし四軒の家は元来墓地であったとしたら?ちょっと調べてみよう?・・・確かなことはここは古都鎌倉なのである。その昔、墓があってもおかしくない。・・・南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏?
何日かして家人が言った“「鎌倉殿の13人」を見ると、何かあるとすぐに殺すのね?”
“鎌倉時代というのはそう言う時代なのだ。あれはみな事実だよ”とあの時代は解決の手段は戦しかなかった。そして、殺すことが唯一の解決法だった。世界中の古都にはそのような血塗られた歴史があり、その上に現在があるのだ。
戦争と外交が同じ次元のものであることなどだれも気付かなかったのだ。500年後にクラウセビッツがそれに気づくまでは?しかし、いま、P氏はまだ気づかずに、古都モスクワに生きている。
                            (2022年6月13日T.I)           
2022年10月3日
PS. 隣に若いご家族が引っ越してきた、犬も2匹ばかりいるようだ。何となくホッとする。

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