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Column

日々雑感

 高齢者といわれる人たち、つまり、私の年齢に至った人は日々どんなことを考えているのだろか?
どんな事も過去・現在・未来と分類し、それぞれに当てはめて考えると、意外なことにバランスよく3つのことどもを同じくらいの量で考えているのではないかと思っている。

 一般的に年寄りは過去のことどもの方が多いと思われるようだがそうではない。というのは年寄りほど現在に切実であり、未来に切実な存在はないからだ。それに比べると若い人は割り合いで言うと現在8、過去1,未来1、という気がする。まず昔のことはあまり考えない。せいぜい先週の英語の授業で先生に何を言われたのか?もしかすると来週、また指されて質問されるのではないか?とそんな程度である。私の場合は?
 ただ、最近の若者はもう少し先のことを考えているようだ、将来の自分の人生を考えて、いわゆるライフコースを考える。たとえば海外で仕事をしたい、そのためにアメリカの大学に行きたい。そのためにまず、英語の習得を第一に考えよう、そのために・・・という風に、である。しかし、私の時代の若者はせいぜいクラスで10番以内に入って、まず、都立の高校に入り、早慶か、国立を狙おう?といった比較的近未来の事を考えていた。したがって、一般的に大学選びの際に自分が将来仕事としてやりたい、もしくは向いている分野の大学を選択するくらいで、未来を考えてもイメージ出来ないので漠然といわゆる大くくりな領域をイメージするくらいがせいぜいである。
 当時は一括りで、何となく理系か文系かを選んで就職する際に何となく良さそうな会社を選んで就職するという、基本的に現在の感覚で未来を考えていたようだ。したがって、何年かすると何でこんな会社にいて、こんな仕事をしているのだろう?と考えて過去を顧みるということになる。基本は過去も未来も現在の中にかなり含まれている。
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 今日、近所にある洲崎の古戦場址に行ってみた。家の近くに古戦場址があるのは古都鎌倉に住んでいるからだ。今さらに見に行ったのは「光悦はばたく」という小説で鎌倉時代の章を書いているからで、昨日、この洲崎の古戦場の戦いを書いたからだ。150年続いた鎌倉幕府が倒れる数日前に行われた戦いである。
 古戦場址に石碑が建っているがそれは湘南モノレールの湘南町屋駅から300メートルくらい深沢駅に向かった道路わきにある。私はここで藤沢から大仏坂口に向かった新田義貞軍を食い止めるべく、赤橋守時軍が決戦を挑んだのである。結果は赤橋軍の衆寡適せずで赤橋守時は自刃するのだが、この時、赤橋守時は執権なのである。前日、巨福呂坂口を攻めてくる新田軍の別動隊と死闘を繰り返し、今日は藤沢から来る別動隊と戦ったのである。
 私はその地に立って赤橋守時がどこに本陣を構えて戦ったかの実地検分をしながら歩き回ったのだが、本陣を構えた場所は見晴らしのいいもう少し坂上にある場所の様な気がしたが、多分、その新田軍の兵数を見ると赤橋は食止められるとは思っていなかったであろう。そしてそこを死地としたようである。
 というのは赤橋守時の妹の登子が足利尊氏の妻になり、その尊氏は反幕府側にまわったからだ。そんなことから守時の幕府内の立場は微妙なものになった。そんな状況から足利尊氏は最後まで守時の命を助けようとしたらしいが、守時はそれゆえか新田軍を相手に死闘を演じ、最後は倅の益時ともども洲崎で自刃することになる。自刃した時にその目には広々とした新緑が広がっていたろうと思われる。5月20日前後だからである。
 以上の話は「鎌倉殿の13人」から150年近く後の話なのであるが。この頃の話は詳細を詰めていくと辻褄が合わないことや矛盾するところが結構多いことに気づく。厳正な科学的な因果律を信条としている読者には耐えられない状況下で書くことになるが、そのあたりのガタはファンタジーで補うということで楽しめると思う人もいるから様々な物語が創作されるのであろう。
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 私の義理の息子が会社の特別研修生にエントリーして選ばれ、有名なグロービス経営大学院に行くことになった。うたい文句は働きながらMBAがとれる!である。私が彼の年齢だった頃のビジネス界とは隔絶した感のある話である。
 彼からそのベースとなる教科書を見せてもらったのだが私が37歳でこのような世界に飛び込んで30年間で考えられた経営に関する知識の集大成の様に感じたものである。
 たとえば当時というから40年前の1982年ごろのビジネス界は経営が体系だった学問という認識は一般的にはなかった?
本棚から私が経営の知識をえようとして購入した最古の本である2冊の出版日を見ると、P・コトラーの「マーケティングマネジメント」が1983年初版発行、M・ポーターの「競争の戦略」が1982年初版発行なのだ。ということなので仕方がないと思ったのだが、考えてみればそんな時代に経営を学ぼうと思っても一般の会社員ではまったく手がかりがないので無理だった気がしないではない。
 では彼らコトラーやポーターはどこでそれらの本を書くきっかけを得たのかが知りたかったので経営大学院たるものがいつから生まれたのだろうと思いハーバートビジネススクールを調べと1908年(明治41年)ハーバート大学でそのプログラムが開発されたという。毅然とする。まあ、織田信長の時代に設立された学校であるハーバートならではの話である。世界をリードするアメリカをものがたるのか?と考えて、じゃあ?戦略的発想は?考えると孫子や呉子が思い浮かんだ・・・・中国!そうか現在の二大強国ではないかと思い至り。しばし、言葉を失う!?
我が国はどうか??新しい知識は海の向こうから来る・・・・と思っているのだ!
 
                            2022年9月26日 T.I

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