フランク・ロイド・ライトが創った建築には共通のスタイルがない。共通するスタイルがないことがFLWらしさなのかもしれない。かれにとって建築とはそういうものらしい。人×機能=外観ということになる。最後の外観=が建築と私は思っていた。そこが建築と工業デザインの違いである。
例えば自動車のデザインではこうなる。外観=人×機能。モノを考える順序の違いがある。自動車の始まりは外観が先にあり、その次に人と機能がせめぎ合いながら後に続くが、建築は人の生活や目的が先にありそれを包含する形で外観が続くのである。
FLWは住宅の仕事から建築に入った。というのは1885年にウィンスコンシン大学の土木科の学生として入学したが、住宅建築の方が面白いことに気づき、その研究に注力するようになったからであり、その後、大学を中退、建築の仕事を探すためにシカゴに移り、J・L・シルスピーの事務所で働いたが本来やりたかった住宅の仕事が少なかったようで1年かそこらでアドラー&サリバンの事務所に移った。FLW17歳の時である。
その際にライトがサリバンに見せた完成予想図面は後年に続くような住宅の魅力的な完成予想図面であった。サリバンはライトを受け入れるが双方の利害が一致したからだと思われる。サリバン事務所にとって住宅建築の仕事は余計な仕事でサリバンは高層ビルのニーズに対応することで住宅の仕事など興味がなかった。しかし、事務所には住宅の仕事も舞い込んでくるので事務所としての水準に達した住宅を提供する必要があったのだ。しかし、サリバンは住宅を得意とはしていなかったと思われる?
したがつて、FLWは嬉々として住宅分野で自由に己の思うような作品を残すことができた。1893年24歳でサリバンの事務所を退社してセシル・コ―ウィンと自分の事務所を開く。サリバンの事務所には7年間いたことになるが最後の方は生活に追われたこともあるがプライベートで数軒の住宅設計を引き受けたことで1年後にサリバンの事務所を辞めることになる。ライトにしてみれば次々に子供が生まれ生活に追われたことからの事情からでサリバンもそのあたりは大目に見ていたのだろう。したがって、1年後の退職となったようで、双方、妙なしこりもなく分かれた感じであり、FLWは生涯サリバンを尊敬していたし、サリバンもFLWを温かく見守っていた。
二人は建築史に残るような建築家ではあったが二人の差がどこで着いたかという点が非常に興味深い。この場合の差とは“新たな建築のアイディアがある”ということである。その点で明らかにライトに軍配が上がるであろう。サリバンの晩年は寂しいものであった。
そして、仕事の依頼も少なくなり、それもごく平凡な街の建築事務所が受けるような仕事しかなかった。反面、FLWはアメリカ全土からも、日本などの海外からも仕事が舞い込んだ。そして、その幅のスケールが大きいのだ。たとえば日本からは国家的なホテルである帝国ホテルのような仕事が舞い込むが、この差はどこにあるのかを考えることは興味深いテーマである。
つまり”新たな建築のアイディアがある“ということだ。私はFLWの建築に接したことは3回しかない。NYグッゲンハイム美術館、東京の帝国ホテル旧館、自由学園明日館の3つである。たとえばNYグッゲンハイム美術館はその観覧方法である。エレベーターで4階に上がり、そこからスロープをゆっくりと降りながらその壁面に展示してある絵を見ながら降りてくるというアイディアなのだ。膨大な絵画を見るということは意外と疲れるモノである、グッゲンハイムのそれは疲れを軽減された通路を歩くと!何とも見事なサービスである。鑑賞者は疲れることもなく、見逃すようなミスも犯さないで全作品を見ることができるのである。
よく考えると凄いことである。そして、だれも考えつかないようなアイディアである。ライトの作品には多分にその建築物ならではのアイディアがあるに違いない。また、帝国ホテル旧館では地震の被害から人命を守るための建築学上のアイディアが施された結果、関東大震災でも、人命はおろかガラス1枚も割れなかったと言われている。
私はこの3つしかライトの建築について知らないのでそれ以上語ることは出来ないが、多分、全作品の建築の一つ一つにその建築ならではの独創的なアイディアが仕掛けられているに違いない。
そう考えると個人住宅から、巨大な建築物までそのようなアイディアを盛り込むことが彼の建築の哲学になっているのであろう。本当にクリエーターとして正直な人だと思う。
智の体力がない限り続かない?でもそれが楽しいから建築をやり続けたのであろう。
泉 利治260302>T&I













