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Column

敵国外国人抑留

 何冊か電子書籍Kindleで本を出版しているが、まったく売れていない本がある。そんな本をテコ入れするために何か手を打つかと考えてはいるがこれが意外と難しい。
その中の一冊が「横浜旧市街」と言う本である。
 旧市街と言う言葉に何とはないロマンを感じている私はこの言葉をヨーロッパの国々を毎年で出かけていた頃に知った言葉であった。外国人旅行者にとって街の目玉の定番はだいたい旧市街地にあるのでそのようなところの街並みや家々の多くが昔のイメージを残しており、そこに身を置くとタイムスリップしたような錯覚に襲われるのだが、多分、そこに旅行の醍醐味を感じたからなのである。
 日本でもそのあたりが観光の目玉になることが分かり、意図的に掘り起こしを行ない観光地として脚光を浴びているところが多い。その一つが川越で私がかつて、東上線で成増まで通っていたころ、川越って古い家が結構残っている。程度の話でそうなのだ?とは思ったが正直、行ってみるまでもなく、言わば僻地なのだな?と言う程度の認識しかなかったが今では都心から“一番近い江戸が残っている街”として必ずテレビなどで紹介され、レンタル着物を着た女性と外国人旅行者が闊歩している街として映し出される。

 「横浜旧市街」とは日本にある、日本らしくない横浜の旧市街を扱った小説である。たとえば横浜市内にある観光地の中心は実のところ「横浜旧市街」なのであると気付いたのは今から15年ほど昔であった。つまり「横浜中華街」や「外人墓地」は立派な旧市街の一部なのだ。
 私の叔母が横浜に住んでいた関係で叔母の家に何回か母に連れられて訪ねたことがあった。しかし、何もないただの家だったのでそんなに面白いことはなかったが40年後に「横浜旧市街」と言う小説を書くことで叔母の家の裏に巨大な競馬場の馬見所があることを知ったのであった。以下はその紹介文である。

「横浜開港から7年後の1866年、イギリス駐屯軍将校らが設計・監督のもと、日本で最初の本格的な競馬場施設「根岸競馬場」が建設されましたが、関東大震災によって根岸競馬場の施設は大半が崩壊してしまいました。1929年J・Hモーガン設計により一等馬見所が建設され、その後二等馬見所が増設されています。」

 この馬見所は根岸森林公園の中にあり、現在は廃屋のような様相を呈してはいるが素晴らしい文化遺産で上記の文章はその内容を紹介しているがともかく目にすると不思議な気分に襲われる。私の売れない小説「横浜旧市街」はその中の一つの話を私の実体験を通して小説化したものである。というのは例えばユダヤ人の捕虜収容所でアウシュビッツに行くと霊感の強い人は気が変になってしまうという話を聞いたことがあるが、そんな話をもとに小説化したものである。

 表題の敵国人抑留とは明治になって鎖国を解除した日本国に押し寄せ、横浜地区に定住した外国人に対して、太平洋戦争が勃発したことで敵国人を母国に強制送還したのであるが、それでも日本に残った人々はいたのでその人たちを日本全国の僻地に強制的に抑留したのである。
私の小説「横浜旧市街」はそのあたりの時代を扱った短編小説で内容のほとんどは実体験と実話をベースにしているが、その物語が多分にロマンチックになったのは横浜を舞台にしているからなのではないかと思っている?
 こんなテーマを思いついたのは鎌倉に住むようになって、新聞に定期的に入るチラシか何かに滑川のあたりの海辺に敵国イギリスから来た商人J.Pモリソンの別荘が海を背景にモノクロ写真で紹介されたことがきっかけで興味をもったからであった。モリソン氏が亡くなった後、その家主である夫人と娘さんはやはり箱根の敵国人収容所に抑留されたのであったが高齢の夫人は収容所内で亡くなり、戦後GHQで仕事をされていた娘さんは1970年ころに亡くなったようであった。有名な外人墓地の一区画にモリソンファミリー眠る墓がある。
 そのような話と私の体験などを小説にしたのが「横浜旧市街」と言う本なのだが、その短編小説は考えてみれば膨大な調査と時間をかけているなと思った。私が豊かな創作力があったらもう少し面白い本が書けるかもしれないと思っているが?
                             2024年7月22日

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