須賀敦子さんを知ったきっかけは家内が彼女の本を懸命に読んでいたからであった。めったに本を読まない家内が彼女の本を読んだキッカケは私たち家族がヨーロッパに毎年行くことになったからかと思われる。私が外資系の企業に勤めたことで海外に行く機会が増えて、基本的にヨーロッパがメインの渡航先になった結果である。丁度、娘も小学生になり勉強のためにもなるのではないかということもあったが、娘はその頃日本にはなかったディズニーショップにいくのが最大の旅行目的であったようだ?
私のヨーロッハ渡航歴は27歳の時の「ヨーロッパ5ポイント滞在旅行」というのが最初である。最初にしてはかなりボリュームのある旅行であった。世間を知らない私以前に世間もヨーロッパ旅行のスタンダードが確立する以前の頃だったから、このようなどうみても破天荒なパッケージが売りに出されたのではないかと思う。
私はHONDAに入社2年目の時、その滞在旅行を知り、お金や一カ月間という期間を考えずに旅行に申し込んでしまった。確か1カ月間の日程でヨーロッパの5都市に滞在する旅行で、ロンドン、マドリード、ローマ、チューリッヒ、パリの5都市であった。その頃の私はロンドンとローマの2都市が先ず、主目的であった。とくにローマ、イタリアは中学生のころからあこがれの地であったし、ロンドンはシャーロック・ホームズを真剣に研究していた頃であったからだ。今、考えるとこの頃の私はまったく、社会における暗黙の常識から逸脱しているようなところが多々あった気がしている。しかし、その初めてのヨーロッパ行きの二つの難関である金銭面の障害と一カ月間の休暇の承認は母とテックプロの上司である佐々木室長の支援で乗り越えることができたのであった。
それから、仕事も含めて数えきれないくらいヨーロッパに出かけた。しかし、それは旅行以上の目的から離れることはなかった。そこが須賀敦子さんとの違いかもしれない。理由は簡単である語学力がないからである。それと明確な目的を想像でき得なかったからだ。語学研修でもいい、キチンとそれなりの持続的な目的が伴ったことが思いつかなかったからだ。一番わかりやすいことでは海外の大学に行くとかである。
デザイン学校時代ウルム造形大学に行きたいというようなことが持ち上がったが、現実的に考えると家庭の事情でドイツの大学に行くということはまったく現実性がなかった。また、ドイツ語どころか英語すら話せないではないか?アイデアとしてはいいが、それを自分事として考えることは到底できる話ではなかった。
しかし、ウルム造形大学に行ったとしたら?あとから考えるとゾッとする。私が最終的に志向していたのはカーデザインであったからだ。デザイン学校の学生時代の希望なんていうものは所詮、気まぐれの浅い知識や憧れの中のモノであり、自身の能力や生涯にわたってやりたいことなどと合致することは少ない。私の学生時代の親友は家具のデザイナーをめざして初心貫徹したが、結局、就職先が限られ、長く続いた仕事先はなかった。生活を成り立たせる働き先としては不安定なカテゴリーの仕事であった気がしている。
2026年8月2日













