ブランドワークス

Column

HONDAの終焉

 ホンダの危機をこれほど感じたことはない。理由は簡単だ。三部俊宏社長が居座っている限りこの会社に未来はないと思われるからである。
この社長の問題はHONDAの社長としての基本的な能力の欠如である。たとえばこの人物が広島大学で自動車開発などとは全く無縁の学部を卒業してきた人であるということで―(私は三部氏が社長に抜擢された時にこの方は何かこれまでの歴代社長と違う匂いがしたのですぐに経歴を調べたが彼の大学学部がまったく異質な学部であった・・・しかし、ここが不思議なのだが三部社長の存在が社会的に注目され始めたころから、当初の学部とは違うが学部を卒業したことになってしまっているのだ?・・・・これはあくまで推測だがホンダの今回の失敗(創業以来の大赤字)がいわゆる自動車の開発や販売に無縁な勉強をしてきたという社長の基本的な問題点を覆い隠すためのHONDA側の姑息な策なのではないか?勘繰りたくなっているのが正直な気持ちなのである。

ホンダのLife が発売された時だから1971年になるが、私は仕事の一環で行くことができた晴海での自動車ショーでまず、ホンダのブースに行った。親会社のブースを観ないことには始まらない。わたしはその年に発売されたホンダLifeの開発について、後に社長に就任する川本信彦氏が新型Life の開発LPLとしてのホンダLifeの基本的な考え方や技術的な目標やそれを実現するための考えやアイデアなどを彼の言葉で事細かく説明しているのであった。私は混雑しているHONDAのブースで拝見して、語る言葉の一つ一つからHONDA のエンジニアならではの気概と誇りのようなものを感じたものであった。
そして、そこにはエンジニアならではの喜びや夢のようなものを感じて、本田宗一郎さんもこういう感じなのだろうなと思った。
 つまり、自分で図面を引いてものを創り、組み立てて結果を見ては新たな工夫を試みる。そんなことを感じたであった。HONDAのトップになる人はそういう人なのである。
 私はそのような人がHONDAのトップになるべきであると考えている。そう思いませんか三部さん?現三部社長は経営者の前にどのようなHONDA体験をしたのだろうか?正直言って、彼は開発の現場で汗を流したとはどう見ても思えないし、それ以前に若い時代、モノづくりを体験したこと、それ以前にモノづくりをめざしていたのだろうか疑問である。

 奇しくも三部現社長に引導を渡しているのが川本信彦4代社長であることを知って、HONDAという企業の存続以上にホンダイズムという観点から三部社長の早期退陣を求めているのだろうと思った。HONDAというブランドは誇り高いブランドであり、その存在は世界の財産なのである。この会社の社長を継ぐということはとてつもないことなのであるが、三部現社長にはそんな気概を感じられない。     泉利治2026年6月29日

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