人は何年か付き会うと何かと以前とは何か違ってきて、徐々に心が離れてしまうものだが、この人の場合は突然、襲われたという感じであった。
人の本質とはこうだったのか?という気づきは往々にしてある気がしないではない。また同じように自分も同じ思いを誰かにさせてきたに違いない。多分、そのようなことが時間の中で人と人が離れていくキッカケなのだろうと思われる。
友人S君の場合もそうである。彼とはいわば家族ぐるみのお付き合いであった。と言うよりも夫婦ぐるみのお付き合いであった。この場合は私の母の病気が原因でその介護をめぐる考え方の違いが双方の中に生まれ、それが私の連れ合いを引き釣り込み、結局私たち夫婦が離婚をしたことであった。
その当事者とは年頭まで年賀状のやり取りだけはしていたがそれ以外の交友は一切ない。これなども私が80歳になったことを理由に絶縁しようと思う。今日まで彼はしきりに会いたいと思っているが私は一切拒否している。理由はほかにもあった、ある時、自分の家を買う際の保証人になってほしいと言われ私はそれを拒否したことで彼は家を買えなかったことである?(私が理由で家を買うことができなかったのは不明だ!)それに関しては心情的な理由と物理的な理由があった気がしないではない。
心情的な理由は前記の理由でそれまでの私たち夫婦の離婚の立役者であったことだ(現在を考えると離婚は正解だったが!)
また、この人物について第一に私が思うのは生活力がないことがある。そんなことから大変危険な人物のような気がしているのである。学生の頃は友達の中では両親もエリートであるし、聡明な気がした。が今の私に言わせれば生活力がなく、その原因も自分にあることを気づかずに生活をしていることによって・・・・いわば自業自得の人生を歩んであるからである。私は来年の年賀状を最後にしようと考えている。
一方この歳になると気の合った学生時代、職場の人との新たな交流が生まれるが彼らはいい人生を送っているという気がしているが、上記の人は真面目だが無計画で、経済観念の弱さ、衝動的判断など、恐ろしいほどの人物なのである。フツーなら当人が辛辣なことを言わないことをいいことにすり寄ってくる図々しさは危険人物の領域に入る人物である。
そういえばそれが早期に悪化した友人もいた。M君である。ただ、彼は私が結婚したことを機に自分から引いて行った人なので今では懐かしい人になっている。
この題目はとある社会的に「残念な人」で、社会的にも名声を持った人であるが最後の最後で馬脚を現した人のことである。この人物、自分を何様と思っているのか甚だ勘違いしている気がした。こんな人のために送別会を開いたのを後悔したが、この人物のおかげで仕事とそこから得られた経済的なモノが多大にあった気がしているので、今後お付き合いをしないということでことを収めようと思っている。
こうしてみるとHONDAとINTERBRANDに関連する人たちは会っても楽しいことはまだ続いてはいる。しかし、最後に残るのはHONDAの人たちかなと思っている。エンジニアとデザイナーの彼らは能力、生活力も確かで、そこから滲む人格が素晴らしいのである。
まあ、そうは言っても私も誰かの残念な人の範疇に入っているのだろう??これは仕方がないが・・・?
2025年6月8日













