同窓会といえば学校のそれが一般的であるが、80歳にもなると学校のそれは私の場合は
すべて消滅してしまった。唯一華々しかった中学校のそれも昨年終了し、今ではHONDA とインターブランドのそれだけになったようである。この二つはHONDA では5名、インターブランドでは2~10名くらいの規模なのだがありがたいことである。
年金手帳を見ると私は5社の企業にお世話になっている。HONDA、アドポイント、パオス、インターブランド、ブランドワークスである。その中で同窓会として生きているのがHONDA、インターブランド、ブランドワークスの3社である。
その前に会社としてきちんと残っているのは1社インターブランドだけである。HONDAは厳密に言うとホンダランドだがここは本田技研工業に吸収されてしまい消滅した。アドポイントは3カ月しかいなかったがここは何十年か前に社長が夜逃げしたし、ブランドワークスは後継の会社はあるので名前が変わったが健在だ。
その中で同窓会的に定期的に集まることができているのがHONDA,インターブランド、
ブランドワークスの3社なので、75パーセントであるが、友人のS氏は100%で今でも頻繁に交流があるという。というのが彼の会社は超有名な名門企業1社を勤め上げた人で、役員までになった人なので当然かもしれない。今でも、ゴルフを通して頻繁に集まるようである。
私のHONDAの同窓会はいわばエンジニアの集まりである。エンジニアが3名、デザイナーが2名の小さな集まりだがこの集まりは結構面白い。今さらながらいい人たちと仕事をしてきたのだなという誇りを感じるような集まりである。
その中のO氏がカメラメンテナンスの仕事をしているということで私のライツミノルタという珍しいカメラのメンテナンスをお願いしたら3週間で最高の状態になって戻ってきた。いわゆるフィルムカメラなので、うろ覚えの記憶を頼りに挑戦してみようかと思っている。ただ、カメラ以上に良かったのはそのカメラの受け取りを兼ねてどこかで食事をしようということになったが彼が指定したのは銀座の名門ビアホールで何年かぶりで銀座のど真ん中で4時間も店に居座りうまいビールと食事を楽しんだことであった。
彼と私は同じ工業デザイナーであり、私の方が先輩なので昔からよく新宿で飲んだのだがその後、会うこともなかったが関東地区にいるテックプロダクションという技術開発部門に在籍していた連中の東京地区同窓会で会ったことでこのような機会が復活したと言っていい。
お互いにいいことばかりではない思い出を抱えてもそれでも会えるということが何とも幸せなことのような気がしている。その中で私が一番高齢なのかもしれないが、年齢を超えてあの働いていた時の同志感というのがいいものである。いい思い出が悪い思い出より大きい人たちだから会うことができるのだろうと思う。だから、高校時代の同窓会には一度として参加したことがないし、小学校時代、中学校時代のそれは終了してしまった。したがって、学校時代では最後の東京デザインカレッジプロダクト科のそれは可能性があるが、一度参加したが二次会にはいく気にはならなかった。その中の一人とは年賀状のやり取りはお互いの生存確認的な意味から続いているのが面白い。ただ、この人は親友的な人であったが、一度、彼が家を買う際の保証人になってほしいというお願いをされたことで、私がそれを拒否したことで家を買うことを断念したことから、もし、保証人になっていたら保証人になった私はどうなったのだろう?ということを考えて、こんな無責任な男だったか?また、他にも私の家庭の相談も叶えてもらえなかった、ということを感じて以来、年賀状だけのお付き合いになってしまった。正直、年賀状も終わりにしようと思っている。かれは職業が安定しない人であったが、ただ、家庭的にはエリート家系の人でお父上も名門大学を卒業、名門会社に生涯勤めた人ではあった・・・その倅は本来はお父上のような手堅い人生を歩むべき人なのではないかと私は思っていた?デザイナーは不向きな気がしないではなかった。
たしかに“人生いろいろ”なのだ。
IZUMI・260518













