日本画家で1968年度に文化勲章を受章した堅山南風画伯。明治20年の生まれで、私の父より10歳年上であり、私のおじさんであると父から聞いたが、調べてみると南風の祖母が泉家から嫁いだ女性であったようである。
そして、堅山南風と父は10歳の年の開きがあるが小さい時に遊んでもらったようで、絵ろうそくの絵付けを南風に教えられて一緒に描いたようであった。この話は父から兄が聞いて、父が亡くなってから何年かしてから兄から聞いた話である。
また、父から直接聞いた話として南風が日光東照宮 本地堂 薬師堂 鳴き龍を描いていたニュースを父に報せた際に南風はお前のおじさんにあたる人で~という話を聞いたが私を連れて6,7年前に南風宅に連れて行ったことをすっかり忘れていた口調で話してくれたのであった。
南風の熊本の実家は鬢付け油や蝋燭などを商っていたようで東外坪井134番地(現在の熊本市坪井3丁目9番23号~26号)であり、当時、白壁3階つくりの土蔵二棟と8間・間口の店のある大きな住まいであったようだ。ここは当時の菩提寺であった養徳寺(浄土真宗本願寺派)の隣にあったことで南風はこの地で生まれたようであった。しかし、その後、菩提寺を八代にある臨済宗南禅寺派の春光寺に移したようで、現在、堅山南風のお墓はこの春光寺と世田谷の?寺に二つある。私はこの二つとも出かけてお参りしたことを覚えている。しかし、あまりはっきりしない。
というのは堅山南風画伯のプライベートに関することやビジネス上のコントロールは家族と専任の画廊が管理しており、いわゆる身元のあやしいよそ者が入ることを極端に嫌っているようである。たとえば、堅山南風の作品の鑑定に関しては銀座のとある画廊が鑑定人として家族の1人を擁して直接行っているようである。ただ、現在の堅山南風の鑑定に関してはネットなどで見る限りでは有名な思文閣が第一人者のようであり、こちらの方がまともな気がした。
以前、父が亡くなって父について調べていた時に手がかりになるのは堅山南風だけであったのでその線から調べて行ったところ、あらゆる調査の手がかりを経たれてしまったのであった。原因はそのあたりについて調べ得ると南風との既得権益を侵されると言った疑いを堅山家やその後ろ盾になっている画廊からかけられたからであった。
直接、そのような事を言われたのはとある銀座にある画廊の店主からでその時の話の内容は忘れてしまったが、今後、堅山南風について迷惑になるような行動は慎んでほしいというような内容であったが、何ら迷惑はかけていないし、何を恐れているのか?という感じであった。ただ、私はほとぼりが冷めるまで堅山南風の調査はペンディングにして、学校や菩提寺を中心に調査を進めたのである。ただ、おかげでその線の調査に関しては理由を説明すると多くの方たちは協力的に様々な情報を提供してくれたのであった。利害を恐れる人たちにとって、自分たち以上の情報を持たれることを恐れたのだろうか?
私はその理由は血の確かさがあるのではないかと思っている。つまり、堅山南風画伯と物理的にDNAを共有しているのは私だからである?ただ、そんなことの優位性について私は何とも思っていない?ただ、このあたりは業界の人たちにとっては利害が絡んだことであり、近親者にとっては血の濃さや生前の付き合いの濃さなどがあるのだろうが天におられる南風さんにとっても迷惑な話に違いない。私にとって興味あることは堅山家のことではなく泉家のことであり、父方のキーマンである泉佐八という祖父であるからだ。
2026年4月6日













