同窓会のファイルがある。と言ってもきれいなファイルというより、各同窓会に出席した際に発生した情報をポケットファイルごとに関連する写真、連絡した際の手紙類、案内そして写真などが放り込まれたものである。内容を若い順からあげると。因みにそこでの在籍年数を記載した。
①山形第一聖書バプテスト教会附属東原幼稚園・・・2年
②小学校3校・・(入学は山形県立第ニ小学校(1年)+入新井第一小学校(2年)+油面小学校(3年)・・・・計6年
③目黒区立第四中学校・・・3年
④私立高輪商業高等学校・・・3年
?家業・・・2年
⑤私立東京デザインカレッジ:プロダクトデザイン科・・・3年
?音大浪人―青山フルートインティテュート・・・5年
⑥ホンダランドテックプロダクション:デザイン部・・・13年(年金加入月数145)
⑦アドポイント・・・3カ月(年金加入月数3)・・・酷い会社ですぐに辞めた。
⑧株式会社PAOS:プランニング室・・・6年(年金加入月数72)
⑨株式会社インターブランド:戦略プランニング室・・・13年(年金加入月数140)
⑩株式会社ブランドワークス:・・・10年(年金加入月数82=6年10ヶ月)
⑪ブランドワークス&パートナーズ・・・4年(フリーで青山学院と三木プーリの仕事)
以上合計63年(内職業46年、学業17年+)=年金加入期間合計443カ月(36年9カ月)
これらは基本的に私のバリューを形づくったものと言えるだろう。合計すると丁度63年になる。私は基本的にもうすぐ80歳になるので79年間生きてきたことになり、ここから上記の63年を差し引くと丁度16年の無名称の空白時間がある。
それを思い出すままに上げてみると
・生まれてから幼稚園に入るまでの6年間、高輪商業からデザインカレッジに行くまでの2年間、デザインカレッジから音大をめざしてフルート修行をした5年間、ブランドワークスを辞めた後のパートナーズで仕事した間。などをのぞいた残りを合算すると24カ月、2年間分にあたる。これらは何らかの雑務を合算した時間である。いわゆる、今、この瞬間のような時間にあたる。ただ、懸命に生きている時間。とでもいえるような時間である。
以上。私のこれまでの人生である。これらの経験を通して。今があるが。ここに記載されていない重要なことはその間、誰の力添えがあってこれらのことを成しえたかである。
肉親として母、妹、妻、娘である。学生時代を考えると中学校時代の山田益男先生。デザインカレッジの五十風治也先生。仕事上でお世話になった人としてカゴメの伊藤社長と石黒専務、百五銀行の川喜田頭取、青山学院の堀田理事長の皆さんだ。友人としてはクラウドエイトの古沢浩一氏であろう。インターブランド社では私の下で一緒に仕事を皆さんがいる。しかし、トンデモナイ奴もいたのがここである。
肝心の友人にはこれといってお世話になった人はいない。友人とはgive-and-takeなのでいないのであろう。ただ、どちらかというとネガティブな記憶しかない。小学校時代の牧田君やデザインカレッジ時代の佐藤君は最初は良かったが後になって何かと違うところがクローズアップされ、やはり、この人たちは違うなということになってしまう。これは致し方ないことである。
意外なことは会社時代の人達である。ホンダ時代の人にはネガティブな印象がない。その理由はその人たちと協力して何らかの同じ目的を達成したからではないかと思う。学生時代の人達は競い合う人たちで極端に言うと皆ライバルでその中で友情などが生まれる余地は全くなかったからである。よく考えるとこれまで仲の良い友人も学校に入ると成績が良い子同士が親しくなり、そうでない友人同士などは成り立たなくなってしまうからで、そのあたりは自然の摂理かもしれない。
しかし、その次のアドポイントはトンデモナイ会社で3カ月でやめた。この会社にそれ以上いたら私の人生は暗黒の人生になる気がしたからであった。それは正解でその後、その会社の社長は夜逃げをしてその後、行方不明なっているそうである。
その後にPAOSとインターブランド、ブランドワークスと27、8年あるがこれらは別の機会に書こう・・・?
したがって、80歳になろうとする私は小学校、中学校の人たちの誰かと会いたいとは思わないが、会社員時代の人達とは会うことを楽しみにしているのである。喜びも、苦労も同じであるという連帯感があるからであろうか?
2026年3月31日T>I













