家督を継いだ人の家の多くには仏壇があるに違いない。わが家にも仏壇がある。この仏壇は私の母が亡くなったことを機に私が墓とセットで仏壇を買いそろえたことに由来する。
墓は昭和五十四年に鎌倉霊園に建立し、仏壇は鎌倉に居を移したときに買い揃えた二代目の仏壇である。
その仏壇の中に小さな引き出しがありその中を調べた際に44年前の私の辞令が出てきた。昭和56年に「テックプロダクションの技術主任を命ずる」という辞令である。いわゆる、平社員デザイナーから、いくらか昇格?したことで、肩書を与えられたのである。
この昇格は母が亡くなって3年後に受けたようだが、記憶では母が存命中かと思ったのだがそのあたりはハッキリしない。
ただ、この辞令が昭和56年7月10日となっているので、私がテックプロダクションに入社したのが昭和46年なので、随分と遅い昇格である気がしないではない。
入社後10年経って最初の昇格ではい今から考えると相当遅い昇格である。したがって、その三年後私はこの会社を辞めて転職しているのでその転職によって人生が開けてきた感がある。
このホンダランドテックプロダクションというのはいわゆる開発設計部門でここでの経験は私の人生に大きな貢献をしていると思っていたのだが、ここを13年で辞めたのは大正解ということになる。と、いうのがやめたきっかけは事業所が埼玉県和光市から三重県鈴鹿市に移るので、こんな田舎にデザイナーが行っては将来がないと考えたからであった。
それが正解だったことはその十数年がそこらでわかるのだが、なぜならばそのテックプロダクションという開発部門が無くなってしまったからである。というのは自分の職業的キャリアも人生もなくなってしまったのだ。もし、会社の言いなりになって、こんな田舎にいぅたばらばたまったものではなかったなとこの辞令を見て思った。
HONDAを辞めた私は東京に残り,PAOS、インターブランドと最先端の企業に職を得てキャリアと信じられないような収入を得たのであった。自分の能力を信じていたというよりも、ただ、面白い仕事をやりたい、そのためにHONDAというブランドとデザイナーという13年間のキャリアが何かの役に立つのではないかと思っただけである。私が学歴より職歴が重要だという理由でもある。
ただ、私は目の前に50年近い前の辞令を見て思ったのはそんなにかかっていたのか?ということと小川君という後輩が“泉さんは専門学校を出たので実力があってもこの会社では出世は見込めません”といみじくも言ったことである。“HONDA関連の企業だから学歴より実力だろうと思っていたのだが50年前のこの辞令を見る限りそうではなく、後輩の言ったことは本当だということであった。入社後10年経ってやっと、何ら見返りが分からないような肩書を与えてお茶を濁していたのであった。私という人間をみて、その程度にみていなかった会社の真実を部下の小川君や家内の方が正確に見ていたことが分かったのであった。今となって思うのは人生の不可思議さと自身に対しての思い込みの危うさである。
ここ一年くらい私とともにテックプロダクションという開発部門で働いていた人たちと会った。中には亡くなった人もいるが皆どんな思いでその会社を見ていたのだろうか?とくにその会社で生涯を終えた人の気持ちを知りたいものであった。
そんな中でも同僚が亡くなって、私が音頭とってその友人が眠る仏壇の前で未亡人となった奥様を入れて同僚の3人が昔話を2時間ばかりした。その中に亡くなった友人がにこにこ笑いながら話を聞いていた姿が見える気がした。
駅まで奥さんが車で送ってくれたのだが彼が休みを利用して耕していた畑の前で車を止めて教えてくれた。お子さんがいない二人だけの人生だった。彼は在籍中に様々な事業所を回ったので子どものいなかったご夫婦はその都度住まいを変えて移り住み、最後の地で亡くなったのだ。多分、彼の育てた野菜類は上出来なものだったものに違いない。
2025年9月21日T>I













