歌手の橋幸夫さんが亡くなった。83歳であった。数か月前に歌詞を忘れてしまうこともあったというニュースを読んで生涯、数えきれないくらい謳ったはずの歌の歌詞を忘れてしまう老いとはなんと残酷なものかと思った。
彼は昭和18年の生まれなので私より3歳年上で、私の兄と同じ歳であるのであらためて同じ時代を生きたのだと思った。ただ、見た目は年齢を感じさせない若さを感じたのは芸能の世界で生きた現役の人であったからなのだろう。
死去が気になる年齢になったのである。それは自分と同じ時代を生きた人を失うという余計な喪失感のようなものかもしれない。先日、千玄室さんが亡くなられた。100歳を越えた死であり、その死は悲しみより先に荘厳な出来事のような物語の一遍を見るような感に打たれたものであった。昨日、クライアントの社長が千玄室さんの焼香が最後の日であるとの報せで私との打ち合わせの後半がキャンセルとなったので早めに嵐の中を苦労して帰ってきた。確かに千玄室さんの死は彼の生前を象徴している偉大さを感じさせた。彼は茶の神様の祝福を受けた人生であった。あらためて茶は健康にいいのだなと妙な感心をしてしまう。
茶の世界などは私とは縁遠いものであったが、家内と結婚したおかげでいわゆる生活の一部になった。茶室をしつらえた家まで作ったのだからである。私が興味を持ったのは茶室の設計や設え、茶道具類である。見よう見まねで気に入った道具を買ったが、カミさんに言わせえばそんなに滅多に使わない道具を買い求めたりしたことで通年に使えるような道具をまず揃えるべきであるということであった。
これらの茶道具のそのほとんどは東京美術倶楽部の正札会で購入したもので、中には酒井抱一の松を書いた小間用の掛軸などもあった。これなどは正月の掛け軸として正月に利用できるので茶室以外でも使える。
茶室は現在、娘の寝室になっており、残念ながら家内のお手前で茶を喫することは不可能で娘が居付く限りは晩年に茶の作法を習おうかと言う希望も叶えられていない。晩年の計画などはそう叶えられないものなのだろう。
もう少し茶を喫して長生きしてせっかく作った我が家の茶室で一年間を様々な茶のイベントを楽しみたいものである。玄室さんにあやかって長生きすれば念願の茶の楽しみを体験できる可能性があるのだ。道具は十分あるし、家内から教わりながら四季折々の茶の世界を楽しもう。そこには長生きと楽しみが詰まっている。私の死去の報せはそれを終えてからである。
2025年9月8日T>I













