日曜夜8時からのテレビ番組と言えば大河ドラマだ。といってテレビをあまり見なくなっても一応、NHKの日曜8時からの大河ドラマは面白ければ見るつもりである。しかし、その時間を待ち焦がれたという番組はここ最近はない。
この大河ドラマの特徴は日本の歴史上の興味深い人間を発掘するドラマと思っていいだろう。したがって、日本の歴史上で人気のある人物が主役のドラマは必然的に視聴率の高くなる傾向になるようだ。しかし、そうでない優れてかつ魅力的な人物の発見もこの大河ドラマの醍醐味と言えるであろう。
そんなことから言うと現在放映中の「べらぼう」の主役はほとんど無名に近い人物である。その点でこのドラマの視聴率を稼ぐにはそうとうハードルが高いと思って間違いない。したがって、「べらぼう」というドラマを放映するにあたっては脚本家の実力が試されると言っていいだろう。
私はこのドラマをいわゆる江戸時代のソフトビジネス発展のドラマとして興味深いものと思っていた。つまり、クリエイティブ力というモノがどのように力を見せて、時代を制していくというところに期待したのであったが、実際はクリエイティブより、それらを商売の種にするズルがしこい商売人の物語なのである。
したがって、ドラマの三分の一くらいはいわゆる座敷での寄り合いの中での訳の分からない罵り合いのシーが多く、もう少し違う展開を考えたらどうかと思ってしまう、コップの中の嵐のような汚い言葉の応酬のドラマで始終している感があるのだ。
これは多分、脚本家の能力の問題なのではないかと思われる。あまりにも斬新なテーマで視覚的に物語や舞台のイメージが描けないからなのではないか?
たとえば古代ギリシャの哲学者プラトンのドラマを作るになると舞台設定から、様々な生活の約束事が違うので、多分、脚本家は自分がイメージできる舞台を背景としたシーンを多用せざるを得なくなるに違いない。べらぼうで言うとあの業者の組合の寄り合いシーンになるのである。したがって、初めてそのシーンを観る人は注意深く出演者の
言葉に耳を傾けなければならないがどう見てもその言葉の内容を理解するのは一般人には
あまりにもハードルが高いしそんな根気を視聴者に強いるのはお門違いだろうということなのだ。なんといっても平均的な大衆向けのテレビドラマ番組であるからだ。
わたしはここ数か月このドラマを見ていないのでこの番組が始まると自室に戻るのが習慣でパソコン画面でアマゾンプレミアムの映画を観ることになるのである。最近は私が生まれたころ(1946年前後)のイギリスの映画を観ているが80年前のイギリスの映画であっても筋が追えるような脚本で作られている?ので異文化、異時代の映画でも面白く見られるのである。
そのあたり是非、日本の脚本家諸氏は勉強していただきたいと思う次第である。
2025年6月30日T>I













