映画を観始めて75年くらい経ったと思われる。現在、78歳であと一カ月で79歳になる。考えるとこの「絶壁の彼方に」を初めて見たのが高校生の時で自宅の白黒テレビで深夜に放映していた映画で見たのが最初であった。
この映画1950年の作品で日本の映画館で封切られたのはもう少し後で、翌年か?翌年くらいなので築地の東劇であったようだから、当時としてはなき物入りで封切られた映画であったのだろう。(と言いながら、昔、あった東劇を調べたら!なんと、まだ現存しているではないか!同じ場所に。五体満足なうちに出かけたい)
さすがエンターティメントの巨匠の松竹の本社が入っているビルの中にあるという。エンターテイメントが永遠だな・・・・!と思いながら元気なうちに行く。決心をする。
ここに最初に行ったのは「砂漠は生きている」という教育映画で、中学校のクラスメートと一緒にいったのでかれこれ60年以上も前の話だ。
「絶壁の彼方に」はその10年近く前なので私はまだ山形のいたようだ?元気なうちに
行ってみたい。地下鉄の東銀座駅なので足の便はいたっていい。でもさすが銀座だなと思って感心する。
アマゾンプライムでは毎日でも「絶壁の彼方に」見ることができるのでマニアにはたまらないサービスなのだ。つくづく思うのだがこの作品のどこがいいのかと思うに、やはり基本は主演者のダクラス・フェアバンクスJrに尽きるだろうが映画自体も素晴らしいのだ。舞台設定もロンドン市内からボスニア市内から、そこから抜け出る山脈の中、バルカン半島のどこかで70年年以上も前に撮られた映画なのだろうが。
場所を特定したいぐらいだが?行ったことがあるのは対岸のイタリアくらいなので行けそうもないのでいわば、シャングリラのようなところなのだろう。まさに記憶の彼方にあるような場所なのである。
しかし、こうやってその地方を見てみたいと思っても、指先一つで数秒後にはその場所を目にすることができるのだから凄いが、実際行ってみるのは冒険だ。昔からバルカン半島は何が起きてもおかしくないような場所で日本が?国交をひらいているのかもわからないからである。グーグルマップで見る限り、学生の頃「何でも見てやろう?」のノリでしか行けないような場所なのだ・・・・今でかつてそんなところに行ったのはアビィニヨンくらいだった?から。今から考えるとよくそんなところに行ったものだ。娘は小学生だからね?日本から確か28時間かかった気がしている・・・?しかし、一応、フランス国内だし!とはいっても、まだ、小学生の娘を同伴の旅先としても少々、冒険だった。
そういえば飛行機を待っている間、カミさんが疲れた顔でまだかかるのかと聞いてきたことを思い出す。結局、アビィニヨン空港に着いたのは真夜中で、TAXIもいなくて、これからホテルに行けるのか?と思ったくらいであった。何分かしてTAXIが来て真夜中の道を教皇庁の裏にあるホテルデミランダに着いた時はホテルには?というよりこのホテルは枢機卿の屋敷を改造したホテルでホテル側では手慣れたもので、部屋に案内してもらい空腹を抱えながら寝たのを覚えている。翌朝、暗い内にレストランに行った。おいしいコーヒーとパンにつけた蜂蜜の美味しさで遠く旅したかいがあった気がしたものであった。
でも「絶壁の彼方に」の物語はボスニアであり、この映画が撮影された1940年代はどんな状況だったかわからないが、映画ではそんな国はないと言っているので、当時はなかったのだろう?「ゼンダ城の虜」がルリタニアという架空の国だが、その後、その国はルーマニアという国になっている?・・・一朝一夕にはわからないな?
2025年5月12日T>I