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梨本宮伊都子妃の日記

 こんな本を何十年か前に手に入れたのをあらためて思い出して読み始めた。きっかけは
執筆中の「光悦はばたく」で青蓮院尊朝法親王を書くにあたりいわゆる高貴な人物のライフスタイルや人格把握のヒントを得るためである。前回の京都行でも青蓮院を訪ねてあらためて再確認してきたが、ロケーションだけでは内親王について分かるわけではない。そんなことから図書館に行ってみたら表記の本を見かけたので、こんな本が自宅にあったことを思い出した次第である。
 ともかく、伊都子妃の日記は1899年(書き始めは17歳)から1976年(昭和51年)の77年間の生涯を克明に記したものとして稀有のものである。ただ、高貴なお方といえど伊都子妃と青蓮院尊朝法親王の時間差は330年の時間差があるし、立場も違い、また法親王は天台宗の門に入られたのでその影響が法親王の人格やライフスタイルにどう影響したのかもわからない。とはいえ、何らかのヒントを得ることができればそれでよしとしなければならないだろう。ちなみに伊都子妃は大変な筆まめなお方で生涯にわたり日記をつけていたようで、内容を見る限り学術的価値もあるに違いない。

 殿上人の生活は、有り余る時間を遊びや社交に費やすという印象を受けるがともかく、特別な身分に生まれたもの同士の交遊で人生のすべてが費やされているということだ。ただ、すわ、戦争になると男は軍隊の総指揮の役職に据えられ、女は銃後で負傷した兵隊の看護やらを担うことになり、かなりの重労働を課されるようであった。それでも気丈にお国のためとのことから懸命に務めを果たす姿はさすが国家の大黒柱を担っている天皇と身命を共にするという使命を帯びている人たちだからという一種の覚悟のようなものを感じる。でもまあ、ともかく読みかけた本だから最後まで読んでから次の方策を考えるとしよう。

ともかく、御本を読み終えた。ただ、この特別な人たちのことが分かったことで今後、何かと新たな感慨、そして着想が生まれるような気がしないではない。というのは青蓮院尊朝法親王の境遇、つまり格式がある人達の人生や生活、考え方そして行動などがある程度だがわかったことである。これは多分、天皇家でも、門跡寺院の法親王継承者でもかなり近いと思われるからで、というのは日本という国で、日本人の組織論理や文化のようなものが変わらないと思われるからである。
梨本宮伊都子の考え方、行動、価値観は95年間一貫して変わってはいない。あえていうならば戦後、アメリカに対する考えが徐々に軟化していることを除けばである。この人物は日記を書き始めた17歳から亡くなる95歳まであらゆる点で一貫しているのである。これは、いわゆる確立された家柄特有の共通性であると思われるのだが、意図してか偶然か、つまるところ、何んとも万国共通のような気がするくらい、何となく似ているのであり、それは時代を超えた、あらゆる文化を超えた共通性のような気がしないではない。いわゆるその立場での獲得遺伝のようなものであり、持続させたい種、家、企業など生物学的な命あるものが生き延びるために命を持続、発展させる方程式のようなものなのかもしれない。それは特に優れたものでも突出したものではないかもしれないが、あえてゆならば確かなものであることは間違いない。
 ただ、時代が近代に近づくにつれて、いわゆる皇族という立場におられる人々の境遇の変化、とくに敗戦による激変に伊都子妃は翻弄される。しかし、この人物、変わったことといえば愚痴が多くなったくらいで淡々と時代に即応している姿がほほえましい。
この本を読んで、いくぶん、いわゆる皇室関連ついてのさわりぐらいを調べてみると実生活で遭遇しないようなところに実生活以上の凄い世界があることを知ることができる。

 たとえば法親王という言葉だが・・・日本の男子皇族が出家して僧籍に入った後に親王宣下を受けた場合の呼称であり、親王宣下を受けている親王が出家した場合は入道親王と呼ばれ区別した。親王宣下とは皇族の親王および内親王に地位を与えることで、いわゆる皇室の世界の中で役割が明確になるようである、したがって生涯その世界にいる限り果たすべき役割、そのための使命や仕事が。明確になるのであろう、とすると秋篠宮の真子内親王は皇籍離脱されたということは簡単言うと皇籍退職ということなので退職金をもらったかどうかは定かではないが今後、皇室からはお金をもらえないということになる。

 梨本宮伊都子妃の場合は彼女のお立場が国家の方針としてなくなったということなので、一時賜金を受け取れるはずだったのだが、夫が軍人だったのでそれも受けとることができなかったようである。ただ、天皇陛下からはいろいろ目をかけていただき、温かいお言葉いただいたようであった。
 その後に自宅に泥棒が入り御蔵の衣類を盗まれたなどのニュースが巷の人の耳に入った。
・・・・・・・・・・・1976年8月19日 伊都子95歳の生涯を閉じる。
                             2025年3月31日T>I

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