寒い冬の衣服として必須なのはセーターだ。セーターは何着も持ってはいるが常時着用するのは限られる。その内の一着はハウスオブハーディーのセーターである。
寒い冬の朝、ベッドの脇のテーブルの上に前夜たたんで置いたH&Hのセーターに腕を通す。今朝、あらためてこのセーターを何年来ているのだろうかと考えた。
というのはこれをロンドンの本店で購入したことを覚えているから、そこから年数の記憶を割り出せると思ったのだ。多分の最初の頃だ、とすると30年近く前になる。この店は開高健が訪ねたことをテレビで見て知ったのか、西尾忠久氏の本で知ったのかはっきりしない。はっきりと、とはどちらが先かということだが、何となく、きっかけは開高健のテレビですぐに西尾氏の本で確認したのだろう。そして、ロンドンの本店でセーターとバッグを購入したというのが何となく想像できる。最初の頃なので娘が幼稚園の頃だ。
ということで今着ているセーターは30年間の冬の寒さから私を守ってくれているというわけである。ではなぜ30年間も持ったのかということなのだが、確かに袖口はボロボロになったので短くして縫い合わせて着用しているが、逆に腕が少々短い私には逆にぴったりになっている。そして、傷みやすい肘のところには当初から皮が縫い付けてあった。また、両肩前部には同じ皮が縫い付けてあるが、これは多分、釣りを行う際にこのあたりに釣り竿などの部位が当たるのではないかと思っているので補強してあるのだろうか?
そして、色などだがいわゆる軍服のような深緑なのだが、これは釣り人がバックの風景に溶け込むという意味でこの色なのではないかと思う。したがって、流行などには左右されないので30年間、年をとっても違和感なく着用、出来るのだろう。
ただ、釣りには生涯縁がなかった。良い趣味とは思うし、鎌倉に住んでおり海釣りには絶好の機会があるはずなのだが?これは性格との不一致があるような気がしないではない。短気な自分にはそぐわないそんな気がしたのである。開高健とは真逆の人生だ。
ただ、HOUSE of HARDYはそれとは異なるが全く違う世界を教えてくれた、それは英国のライフスタイルの世界であり、英国のモノづくりのこだわりや哲学、そして、様々なライフスタイルを教えてくれたことである。
今でもそれらの商品やライフスタイルのいくつかは我が人生の指針となっている。Swaine&Adeney、Brigg、Asprey, Sotheby’s・・・Claridge’s・・・そしてInterbrand・・・ここも本来はmade in GBだった。
いずれにしてもそれらが人生の半分を形作ってきたことは確かである。追加すればHenry Poolもある。何か需要な日には必ずここで仕立てたスーツを着用することになっている。先日、冬用のHenry Poolのスーツをプレミアムのクリーニングでお願いした。窓口の女性にヘンリープールで仕立てたものなのでと言ったらスーツの裏側のクレジットをみて英国製ですねと言った。なんとも贅沢なと思うのだが今となってみれば、よくぞ仕立てたものだと思ったがそういう機運だったのだろう。しかし、今から考えると人生は一つひとつの機運の積み重ねでその出来事が自分の哲学に合致しているのかでかたちづくられるような気がしないではない。あえて言うならばイギリスが哲学であったし、ゲーテはイタリアが哲学であったろうし、亡き古沢氏はアメリカの西海岸が哲学であった
・・・・寒い夜、娘が仕事から帰ってきて、真夜中にベネツィア空港に着いて、暗い凍った海の道を舟でヨーロッパレジーナホテルまで行ったことを話し始めた。
暗黒の海の中を進むボートに氷の破片がぶつかりコツン、コツンと音がした。身を切るような寒さだ。ホテルの艀に着いたときは正直ほっとした。こんなところで転覆したら、間違いなく死ぬだろう。その冬はとてつもない寒さだった。何日かしてアカデミア美術館に入るのに並んだ時、海から吹き付ける風の冷たさを忘れられないからだ。三人とも同じ思いだろう,とくに娘は小学生だった。親に連れられてこの子はヨーロッパを何度も往復した。そういえば、その時、アカデミア美術館で唯一、娘が引き込まれた絵があった。
テッツィアーノの「聖母の神殿奉献」という巨大な絵画である。以下wikより
・・・ティツィアーノは大勢の観衆が見守る中で、エルサレム神殿の階段を上っていく幼い聖母マリアを描いている。聖母マリアは青色の衣服をまとい、長い金髪を後ろで束ねている。聖母マリアの身体を包む光は彼女の神聖な性質を表している[4]。聖母の老いた父ヨアキムと母アンナは観衆とともに聖母を見つめており、ヨアキムはアンナの肩に手を置いている[9]。
この美術館には異国の10歳前後の女の子が興味を引く絵は皆無かもしれないが、唯一、自分と同じくらいの女の子(実は聖母マリア)をテーマにした珍しい絵であったからなのだろう。娘は不思議なその絵の前から動こうとはしなかった。
話が飛び飛びに迷走してしまったが根幹にあるのは数知れないヨーロッパ旅行の体験の記憶である。ちなみに興味ある方はテッツィアーノの「聖母の神殿奉献」を是非とも見てほしい。勿論、HOUSE of HARDYも。
2025年2月24日T>I