どんな理由でこの本を買ったのか忘れてしまった。最後のみ返しに2016・6・27とメモっているので9年前に購入したようだ。多分、作家の経歴が読むキッカケになった気がしないではない。サザビーズの鑑定士というキャリアだ。そのころ私は、まだサザビーズと細い糸でつながっていたからだ。
サザビーズにはロンドンに行くと必ず、何度も出かけたものだった。定宿のクラリッジスから近いからだ。狭い入口の割に中がえらく広く、大きなホールがいくつもあった。あるホールではプレヴューが開催中であり、あるホールではオークションが開催中であった。
また、競り落としたい絵の確認にサザビーズに行ったことがあった。その絵はコールドロンの夕べの窓際に立つ女性の絵で彼女が愛する人を待っている瞬間を描いているような絵であった。肖像画部門の若い担当者が私をその絵が立てかけてある部屋まで案内した。絵はやはり一部ぞんざいに補修されており買うに値しないことが分かった。
「ウッツ男爵」の著作者であるブルース・チャトウィンはそのような仕事をしていたのだろう。サザビーズで働けるなんてどんなに素晴らしいのだろうか?しかし、彼の担当分野はビクトリア時代の絵画ではなく、磁器の担当だったのかもしれない。
ウッツ男爵はチェコを舞台としたマイセン磁器の中でも人形の収集家の物語である。かれが亡くなった後、行方不明になった彼の収集した膨大なマイセン磁器人形がどこにあるのかをめぐる物語である。
いわゆる美術品の収集家という特別な人たちがその膨大な財産を好みの美術品の収集に注ぎ込む、そのための収集の方法、一筋縄ではいかない収集家や組織からどのようにして買い取るかなどなど、この世界に身を置いた人でない書けないことをまるでその人物の近親者のように子細に書きつけている。それをどのように手に入れたか、どんなきっかけでそのような機会に出くわし、その相手から、まず見せてもらい、交渉のきっかけを探り、それにあたっての駆け引き、それは単純な価格だけで解決するものではないということを教えられる。
そして、その膨大なコレクションをどこに秘匿するか?など興味は尽きない.一例としてスイス銀行を上げている。それはけち臭い貸金庫などとは全く違うものらしい。その量を考えるとスイス銀行のそれはわれわれ俗人には想像できそうもない。ヨーロッパの名だたる家は信じられない財産を持っており、それは何百年にわたって個人ではなく家として蓄積された財産なのだ。したがって、お金よりも価値のあるものを一族の財産として未来に向けて保管する方法をとるのであろう。そのような人のためにスイス銀行はあるらしい。
この本では膨大なマイセン磁器人形のコレクションが今どこにあり、それをだれが管理しているのか?それともすべて破壊したのかわからないままで本は終わっている。唯一その鍵を握っていると思われる、確かな妻であるマルタに最後に会いに行った記述で本は終わっている。かつて、ウッツ男爵の下女であったマルタはその時はれっきとしたウッツの妻であった。・・・・「ええっ、私がウッツ男爵夫人です」で本は終わる。
よく考えると歴史に残るマイセン磁器人形コレクターを主人公にしたミステリーのような本である。それが、チェコスロバキアやプラハというような、知ってはいるが遠い東欧の国々の中で繰り広げられる物語なのである。ただこの物語が書かれた当時に比べ日本人のわれわれにもその地は身近なものになっている。
私はこの本を再読し始めた時、ウッツ男爵の終焉の地をグーグルマップで探し出した。・・・「カスパール・ヨアヒム・ウッツは二度目の心臓発作により、シロカ―通り五番地の住居で死んだ。シロカ―通りの住居からはプラハの旧ユダヤ人墓地が見渡せた。」グーグルマップでかれが亡くなった、落ち着いたヨーロッパの都市にある瀟洒な集合住宅を発見できるし、彼の部屋から確かに旧ユダヤ人墓地が見渡せた。私は俄然この本の中の場所をグーグルマップで確認しながら読み進めようと思った。
もうチェコには行けないだろう、しかし、お隣のオーストリアには何回も出かけた。いけば感じるのだがここは明らかにロンドンやパリとは違う空気を持ったところである。
ヨーロッパに行き尽くした感を覚えたころ、次は東欧か?というところでそのような旅行が終わってしまった。だから、いまでもヨーロッパに行ったことがないところがあるという気がしているのかもしれない。ルリタニアもその内のひとつなのだろう?
2025年2月17日T>I