「70歳の同窓会」という本をKindleで出版しているが、それに引っ掛けたタイトルになったが2日前の22日に78歳の同窓会を敢行した。といっても表向きには2年前に亡くなった会社の同僚の三回忌に合わせたような集まりであった。
開催はちょっとしたきっかけからだった。12月に入って、年賀状を書き始めたころ、その年に来た年賀状を見ながら書き添える言葉を考えるために見ていたら、I氏から年賀状が来ていないことに気づいた。几帳面な人だったので・・?と思い出したところその一月前に津に行った際にI氏が亡くなったことを思い出した。
そういえば彼の家に一度、招待されたことがあったなと思い出し、その時の情景を思い出した。その際に彼の奥さんがギターを出して弾き語りで、当時、流行った「思い出まくら」を歌ってくれた。その歌が妙に記憶に残ったということの理由がその歌がどうも偶然ではなく、私が離婚をして一人暮らしを始めたばかりの頃の時期だったような気がしたからである。ギターも歌も素晴らしく秋の夜長に聞き入った。
そんなことを思い出したせいか、住所録をあらためて見ると電話番号が書いてあったので残された奥さんとも面識がないわけではないので電話をしたら、電話に出られてかすかにそんな記憶もあったらしく、I氏の死とそれまでの経緯について詳しく教えてくれた。最終的にはアスベスト被害で亡くなられたということだが、彼は唯一職場では私と同年齢なのでまだ、命があって当然だと思っていたことが自分事のように思えて悲しみがこみあげてきたものであった。そんなことから彼に手を合わせたいと思い、恐縮している彼女に無理を言って私とM氏、K氏と三人で南大沢にあるかれの自宅で手を合わせ、奥様からその頃の彼の思い出話などを聞きに出かけたのであった。
I氏は家庭でも会社にいた時のように真摯で、誠実な人だったようで奥さん思いの、絵にかいたような夫であった。彼は猫が好きで4,5匹飼っていたようであったが、その中で一番お気に入りの猫が亡くなって、何年かして、彼が亡くなる前日、病床から起きて、「チコが来たよ!」言ったので奥さんが「チコは亡くなったのよ」というと「・・・・?」と言って黙ってしまったがその翌日彼は亡くなった。
奥さんはその時。I氏が言った事は本当だったのだ、と思い直したそうであるが、何事にも優しい彼らしい逸話であると思った。
その後、1時間ばかり、I氏の仏壇の前で彼のお気に入りのソファの前に寄りかかる奥さんを入れた四人がいろいろな思い出話をしたのだが私は彼がその中にいたような気がしたし、大変だったけど集まってよかったと思った。
その後、われわれは京王線で新宿まで出かけ,飲み直しの会を開いたのだが、新宿の飲み屋など知るわけはない、他の二人は携帯で何かと検索をしているが、私はコンビニに飛び込んでこの辺で酒が飲めて、食べられるところはありかせんかと聞きに飛び込んだのだが、教えてくれるのは地下街にある店ばかりで、これはしょうがないということで地上に出たら、そこは新宿の西口でヨドバシカメラの前であった。ここなら大丈夫と思い見回わすと,海鮮の店があり、そこに急遽飛び込んだのだがビールジョッキを片手に刺身の盛り合わせから寿司を何皿も平あげて話の続きに興じたのだがともかく同じ会社に定年までいた二人と30半ばで転職をした私の3人は一緒にいた会社の様々な話に花が咲いた感じであったが、全員に共通した真実はS・Jという男の悪行だった。今考えても虫唾が走るような奴でそんな奴はどこかできっとくしゃみをしているに違いないと思っていたが、ああ??そうだ!ああいう奴に限って長生きするんだよなー??
2025年2月3日T>I
78歳の同窓会
25.02.03
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