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Column

失われた記憶

 記憶とはいたって、個人的なモノである。したがって、それを失うとその遺失物を取り返すすべはない。そう考えるとこの「慎慮と洞察」は私という人間の正倉院になるのかもしれない。今のところは放り込まれた棚の状態ではあるが一応その箱にはタイトルが書いてあるし、日付等も記載してある。本物の正倉院はどのように分類して保管しているのか知らないが、わかれば慎慮洞察院の保管棚の整理に役立つかもしれない。

 このタイトルを打ち込んでLost Horizon?そう、ジェームス・ヒルトンの有名な著書を思い出した。というのはごく最近までLast Horizonとばかり思っていたからであった。が、Lastのはずはない・・・しかし、「最後の地平線」というのもありうる、そこは確かに最後の地平線上にある場所だったからである。よく考えるとたしかに「失われた地平線」は紛れもない直訳である。しかし、意味的に考えるとこの場合lostよりもlastの方が本質を言い当てている気がしないではない。人類の幸せの最後にある~場所のような気がしたからだ。
 ジェームス・ヒルトンの書いたこの本は当時ベストセラー―になった。舞台である理想郷シャングリラはお陰でいまでは一般名詞になっているようである。
 以上は本題のタイトルを書いた時の勘違いから思わぬ展開になったことの経緯である。

 以前、本考で文明化したヨーロッパの知識人はまだ見ぬ異境に思いを馳せたというような趣旨の考を書いた。そこはオリエント急行で行けるルリタニアという国であった?また、そこはアンソニー・ホープの書いた「ゼンダ城の虜」で出てくる国である。この国では舞踏会でシュトラウスの曲に合わせワルツを踊るシーンが出るくらいなのでどちらかというとウィーン文化圏の中の国であったようだ。
 この1894年に発表された「ゼンダ城の虜」も当時ベストセラーになったようなのでルリタニアも何となく、心理的に身近な国、いわゆるヨーロッパ文化圏の一部のような気分を持たれたのではないかと思われる。そうすると当時のイギリス人たちはもっと遠くにある未知の国に思いを馳せたのではないかと思うのは当然である。
 その半世紀あと1950年にシドニー・ギリアッドが脚本を書いた映画「絶壁の彼方に」・・原題「Secret State」は文脈からするとボスニアという国が舞台になってはいるが、この映画に出る絶壁はブルガリアにあるのでいずれにしてもルリタニアよりギリシャやトルコに近いのでルリタニアよりかなり遠くになる―そこまでいかないと当時のイギリス人は満足しなくなったようだ。
 ただ、その頃になると交通手段も変わって来て、これまでの数倍の距離をなんなく可能とする、飛行機の登場である。したがって汽車というより飛行機という移動手段でその距離、場所の自由度が数倍、数十倍に広がる。

シャングリラに行くには飛行機で途中まで行き、そこから徒歩になる。世界の屋根と言われるエベレストの裏側にまで足を延ばさないと未知の国にはならなくなったのだ。 
ジェームス・ヒルトンの「Lost Horizon」は1933年に発表されているが旅客機が最初に飛んだのが1919年であり、1930年代になるといわゆる旅客機が一般的になるようだ。したがってLost Horizonで書かれたシャングリラには飛行機+徒歩登山という設定はリアリティのある設定なのだ。現にそこはどうもエベレストの裏側にあるらしく、ヨーロッパ人には最後の未知の国に映ったのではないか。

と思った時、昔の記憶が甦ってきた。何といってもイギリス最高の冒険家であるシャーロック・ホームズ卿がすでにルリタニアでロンドン中が騒いでいた頃すでに二年間チベット旅行に出かけ、ラサでダライ・ラマとも数日を過ごしているのである・・・・!
やはりこの人を抜きには当時のこのあたりの話は語れそうもない。・・・この続きはもう少し勉強してからですね。
                          2025年1月27日T>I
 
 

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