今週の初めにジュネーブからSwiss Postでパテック・フィリップ インターナショナルマガジンが届いた。もうかれこれ一年に2回、23年間送られてくる。この会社ほど顧客をリスペクトしている企業を私は知らない。
もしかすると、わたしが生きている間、送り続けるのではないか?したがって、私は今、左手に着けているパテック フィリップを当分、離すことはできないであろう。
このマガジンなのだがテーマは一言で言うと芸術である。しかし、一様に芸術といっても漠然と何でもよいというわけではなく、基本は機械式の時計を原点とする機械の芸術性といえる。
そうは言っても純粋のアートの扱いがまったくないのかというとそうではなく今回の中には「江戸の粋は裏地に秘めて」のような町火消の着ていた火消袢纏の裏地の見事な絵柄の特集などがその美しい実物の写真とともに紹介されている。
ただ、これを漠然と見ると、江戸の粋!だなくらいで終わってしまうがその実、全体のこのマガジンのコンセプトを的確にとらえていることがわかる。それは美と機能が表裏一体で実現しているということである。つまり、パテック フィリップの製作理念そのものになるということなのだ。
偶然だが昨年の11月に取材旅行で名古屋の刀剣博物館に出かけた際に観た、同じような袢纏や鎧の裏に描かれた絵などに共通するものを感じたのであった。私はそれらを見て、何んとも日本人の美に対する執念のようなものだけを感じたが、今回のPPのマガジンを見てそれ以上のものがあるということに気づかされた。
考えると年に二回ジュネーブから送られてくるパテック フィリップマガジンのテーマはすべて、美しいメカニズム、大きくとらえるとそれは宇宙そのものが美しいメカニズムなのだから。という精神で編集されていることに気づく。その根幹にあるものが芸術性ということである。
時計が機械式から、電子メカニズムで時を刻む方式に駆逐されようとした時、それに抵抗したのはスイスの時計業界であった。多くの人は機械式の時計から形は変わらないがデジタル時計やクオーツの時計を持つようになった。自動車がこれまでのエンジン自動車がHVやEVに代わったような時代なのであろう。
スイスの時計業界は何らかの手を打たねばならなかった。その時、だれが気づいたのかわからないが、機械式=古臭い、から機械式=高級を打ち出したのだ。つまり、スイスの時計=正確やメンテンナンスフリー、安価。ではなく高級、手がかかる、精密機械というような価値にあらためて光を当てた。そしてその分母にROLEX,OMEGA,PATEK PHILIPPEというようなブランドをおいてその構造の真実を証明したのであった。デジタル時計はあまりにも作りたいだけ作り、その結果、それらの時計は消耗品の代名詞になってしまったのであった。そして、それは人間が身に着けるものとしての価値に値するものではないというようなところまで落ちていった。その流れと構造を鑑みると、もしかすると自動車もそうなるかもしれない?
人は人が持つに値するものを本能的に持とうとする。かつて、時計はそのような典型であった。古代、時は神が支配していた。だから、世界は規則正しく動くのであって、その原理は神の考えと力ゆえである。人はその神の意志を知るために天空を眺め、神の意志に規則性を発見した。それは神を直接確認して、知る方法から、神と同じような機械をつくることでいつでも知ることできる時計というものをつくり上げたことだ。これは時の神の模型である。そして、それは神ならではの美しさを持っていた。そこにスイスの時計技術者や経営者が気づいたのであった。
私は5つの神とともに60年くらい暮らしている。お互いその間、持ちつ持たれつの60年であった。長女のENICARは今年60歳になったし、次女で末っ子のPPは女ざかりの23歳になった。長男のAspreyは34歳であり、次男のEpeeは32歳。そして三男のErwin,それでも29歳。みんな元気だ。三男のErwinの調子は悪いが、やるべきことはちゃんとこなしている。そろそろ病院に連れて行かねば!
2025年1月20日T>I