クリスマスを体験したのは幼稚園に入った時であった。そこで生まれて初めてケーキを知った。昭和25年(1950年)か26年の頃である。運よくキリスト教の幼稚園に入ったからだ。その幼稚園は田んぼのあぜ道を歩いていくようなところにあった教会の中にあった。僕と同じ年のよしのりちゃんが先に入って、私と遊び時間が少なくなった、その原因がかれがその幼稚園に入園したことを知って、4,5歳の私がその幼稚園に入園したいと母に告げたのであった。
しかし、父はそのキリスト教の幼稚園に入園させることを渋ったようであったが、母が独断でそこに入園させることを決めた。父はその後、何も言わなかったが幼稚園のことについて家族のいる前では口にすることはなかった。
私にとってその幼稚園体験はまさにカルチャーショックであった。何もかもこれまで見聞きしたものではなかったからだ。たとえばその幼稚園の園長は進駐軍の女性であった。誤解を与えてしまうが当時、白人の外国人はみな進駐軍と私は思っていた、
そして、幼稚園の壁にはキリストの様々なテーマごとの絵が掲載されていた。その絵の景色はこのあたりでは決して見ることのない景色で、その中に多くの変わった衣服を着た人たちが何かをしている絵であった。
この幼稚園でクリスマスを知った私は多分、山形県でもかなり早くクリスマスの体験した人であったろう。その最大のインパクトは子供たち一人一人に渡されたケーキの美味しさであった。私は妹と二人、あまりの美味しさに母に残すことを忘れて全部食べてしまった。今でもそれは後悔している。
今年のクリスマスは家内と二人で祝った。わたしが前日の朝、裏山の知った場所にある木からエウセビオ(キリスト生誕時の人形セット)を玄関脇の飾り台に祀って、キリストの誕生を祝った。このエウセビオはミュンヘンかウィーンのクリスマスマーケットで買ったもので日本で言うひな祭りのセットのようなものである。
そして、一日早くケーキを取りに行った。これまで我が家のケーキは隣に住んでいた人が洋菓子店を経営していたのでそこで購入するのが常だったが2年ほど前に廃業したので、鎌倉小川軒で買うことになった。ただ、私は今から75年前に食べたケーキの味が忘れられないので、バタークリーム味が好みなのだが現在、そのようなケーキを販売しているケーキ屋は近所にはなかった。鎌倉に越してきた35年前には鎌倉風月堂が健在で我が家では娘の誕生日やクリスマスケーキはそこに注文したものであった。しかし、もうこの店が閉店してから20年くらいたつのかもしれない。
あと、我が家のクリスマスのイベントは必ずディケンズのクリスマスキャロルのCDを見ることである。ジョージ・スコット主演のものでこれが一番、原作に忠実に作られて気がするからだ。確かにあれを見るとクリスマスには人はどうあるべきかを教えられる気がするものである。
わたし、イギリスに行った際にディケンズハウスに家族と見学に行った際、ディケンズのクリスマスキャロルのオリジナル原稿とその活字版が併記されている本を買ってきたのであの物語がよどみなくディケンズの手による羽ペンの先から生まれた瞬間を感じ取ることができるが、あの物語がともかくよどみなく書かれたさまを見ることができる。ただ、読むのは隣のページ書かれた印刷されたページである。
ディケンズハウスは小さなフロアが縦に積みあがったような家で、階段の登り降りが大変だったろうと思うような家であった。どう見ても文豪として知られる前の時期の家かもしれない。でも、クリスマスキャロルがあそこで書かれたという説得力のある家であった。
今回ビデオをみて気づいたのはスクルージが唯一の社員であるボブ・クラチットの家に七面鳥を届ける際にその店の馬車に書いてあったPOULTERERとい単語であった。辞書で調べると―やや古い語で「家禽商」と書いてあったので鶏肉や野うさぎを売っていたような店であった。ディケンズの時代には街に必ずあったのだろう。
最近「クリスマスキャロル」ほかに見るビデオは「LOVE ACTUARY」で、双方、見終わるとクリスマス気分になるから不思議である。・・・・・Merry Xmas!2024
2024年12月27日T>I