ブランドワークス

Column

西 来 庵

 京都建仁寺に建長寺開山蘭渓道隆の塔所がオープン?した。私はこの事を半年前のテレビの特集番組で知ったのだが、運悪く5月の京都行の直後に鎌倉で見たので12月の京都行で訪ねよう、と思っていたが京都に来てそんなことをすっかり忘れており、四条通りを歩いていた際にどうも、建仁寺に行きたくなり、突然、あっ!そうだ西来庵だ、と思い出して早足でかつての蘭渓道隆の塔頭に出かけたのであった。公開にあたり庵内の内容はかなり前衛的な装飾をしていたことを知っていたのでその庵内を見ながら、若い観光客が多く来ていることに一種の悦びを感じながら、受付で入場券を買うときに僧がいたので
「鎌倉、建長寺の近くに住んでおり、蘭渓師に手を合わせに参りました」と言ったら、室内から出てきてこの庵の中心になる蘭渓道隆木像の前で道隆師の話を色々聞かせてもらい、本当に立派な人でしたと言う話に始終したひと時であった。これを機に家内も蘭渓道隆師の名前を覚えたようであった。
 四条通りから花見小路を通って、建仁寺の中にあるということで若い人も多く、入り口のなんと!アイスクリームを売る車も待機しているということから、信じられないくらい若い観光客の方々が多く、これで蘭渓さんの名も知れわたるであろうと、何となくうれしくなった次第であった。
 この僧はともかく魅力的な僧で私は彼の言行禄とも伝記?ともいえる部厚い本を読んで何とも凄い人物で、それでいて暖かい人物像を知っているのでなんとも身近な人という親近感を持ってはいるが、西来庵でかれを知って、その教えや人物の素晴らしさを通してかれが多くの人々に知られることを望む次第である。
 蘭渓師は無準師範、癡絶道冲らに参じ、陽山の無明慧性の下で契悟し、法を嗣いだ。その後も修業は怠らず、中国の名だたる師のもとで修業をしているとき、祠山大帝像に似た人物と会いその人物から日本に行くことを勧められたと言われている。
 したがって、祠山大帝像が日本に渡って来たのは、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)がきっかけであり、当時、名だたる禅院にはいつの間にか置かれるようになったようだ。無著道忠(むじゃくどうちゅう)は『禅林象器箋』において招宝七郎と同様に、張大帝についても検討を加えていますが、以下のような伝承があるようです。

・・・蘭渓道隆がまだ中国にいた時、ある異人と会ったが、その異人は「汝の縁は東方にあり」と予言して消え去る。ところが、その姿は後に見た帰宗寺に祀られる祠山大帝とそ
っくりであった。このことを不思議に思っていたが、さらに明州の天童寺にいた時、またこの異人が現れて、日本への船に乗るよう勧める。この異人は、やはりこの地に祀る祠山大帝の像と、瓜ふたつであった。この霊験に感じた蘭渓和尚は、自分が伽藍を建てる時は、この神を土地の守護神として祀ると焼香して誓った。
―日本の禅の名刹にこの像が鎮座しているという、建長寺にも後ろの方にある祠山大帝が祭られているようです。

いずれにしても西来庵に来てみて、若い人にこれだけ開かれていたとしたら蘭渓師の名声も殊のほか早く浸透するであろう。この人物の人となりをもっと多くに人に伝えるには世界的な観光都市の中心にある建仁寺の塔頭西来庵はこれ以上ふさわしい場所はないであろう。
 私のスマホでこの前、まだ知られていない西来庵を訪ねたのは2022年3月29日になっている。その時、いつかこの塔頭を何とかして見学したいものと思っていたが、これまで一気呵成にポピュラーになる仕掛けがしてあったとは2年半前には思ってもいなかった。

 ちなみに蘭渓道隆が来日したのは1246年で、その7年後に時の執権北条時頼の帰依を受けて、建長寺の開山になる。そして1278年蘭渓道隆は建長寺の住持として65年の生涯を閉じるのだが、上記の文章では日本では建長寺の住持として安寧な生涯を送ったようにも見えるが実はそうではなく、鎌倉幕府の猜疑心の強い、無教養な要人のために何度も建長寺を追われ、北は東北から、南は九州の様々な寺で布教をしていたと言われている。
 私はその時の師の心情を考えるとまったく、とんでもない武家共だと思った。その中にはあの北条時宗もおり、若くして執権になったはいいが、自身を鍛えてくれた蘭渓道隆が中国、元の手先であることなどありうるかと!家来共の失政を諭すではなく、いいなりになってしまったのが悔やまれる。本人はそれが心の傷となって,蘭渓師が亡くなった後、日本初の大覚禅師という称号を天皇に申請して、その後の供養を信じられないくらい丁寧に執行したということであった。
 私はそのことから蘭渓師の焦燥のようなもの感じていたのだが、西来庵の僧曰く、実は蘭渓が鎌倉建長寺の所払いを喫したことで日本中を回れることに帰って喜びを見出していたという話を聞いて、痛快になった。彼の力で宗旨替えをした寺は東北の瑞巌寺をはじめいくつかあるようなので、一度、調べて行ってみようという気になった次第である。
もうすぐ、新しい年になるが元旦の建長寺は誰でもフリーパスではいることができるうえに、そこまで行く道は歩行者専用道路になるので是非、北鎌倉で電車を降りて、建長寺まで車道を歩いて初詣に行くといいことがあるだろう?
                          2024年12月23日

Share on Facebook