ブランドワークス

Column

ホンダイズム

「日産自動車が苦境に陥っている。2024年9月中間決算は連結営業利益が前年同期比9割減。9000人に上る大規模な人員削減や生産能力の調整に追い込まれた。主要市場の北米で人気のハイブリッド車(HV)を投入できず、劣勢に立たされたことが響いた。V字回復を果たしてトヨタ自動車やホンダと並ぶ国内自動車メーカー「御三家」の座を維持できるのか、正念場を迎えた。」

日産がそんな状況なのか?とあらためて思った。というのは最近、近所の家々で日産の新車に買い替えた家を何軒か見かけるし、知り合いも日産の車に買い替えたという話を先日、聞いたばかりであったからだ。拙宅のある山崎谷戸でホンダの新車に変えた人など見たことがないからである。冒頭の記事を見る限り、前年同期比9割減!となると倒産してもおかしくないという気になってしまう?これだけの世界的な会社なので簡単には潰れないだろうが?理由はアメリカでの売れ筋であるHV車がメニューにないからである。いわゆる、大市場のアメリカで人々が欲しがる車がないからである。 
理由は時代遅れ?のHV車などもう過去の遺物であるというようなことから日産は長期的展望から賭けに出たのだ。だれもが未来の車であると認めたEVに舵を切り、その日産の判断は一時はわが世の春を演出してきた。またホンダの現社長もそのような事を宣言して一時注目されたようであった。ただ、ホンダの場合はそれ以前の社長がHVという財産を残してくれたおかげで現社長は首がつながったのだ。
会社運営の難しさだろう。確かにトヨタやホンダが中途半端な、というより過渡的?HV車に膨大な経営資源を費やして開発をしていたのをしり目に比較的開発が簡単な、というより将来、間違いなく取って代わるであろうEVに当初から、見極めた日産は我が世の春を?だった。そんなに世の中簡単ではないのだ。
その点、後術力では並ぶものがないトヨタとホンダは大変でもHV車開発にチャレンジしたのであった。
 世界的に自動車の駆動力が電気に代わるだろうと言われているがそうは簡単にはいかないものである。というのは電気を作り出すコストが馬鹿にならないからであり、それを供給するシステムを構築するコストが膨大だからであろう。自動車大国のアメリカの原野を走ってみれば何百キロの彼方にある電気供給スタンドを創るのが大変なのである。
 ガソリンスタンドなら月に一度くらいタンクローリーが行ってスタンドの地中に埋まっているタンクにガソリンを入れておけば腐るわけはないのでHV車ならアメリカ大陸を安心して旅することができる。その安心感がアメリカ人をしてHVを欲しがる理由うであろう。電気がなくて走れない自動車など名実ともに無用の長物だ。
 
 したがって、アメリカでは当分、HV車の牙城は崩せないのではないか?ホンダの現社長が今後すべてのEV車にして、ガソリンエンジンはつくらないと言ったが、この社長の首は
過去のホンダの経営者のお陰で首がつながっているのだ。そのあたり、トヨタはこのような短絡的な経営者が社長になることはなさそうである。
 ~ism。 ホンダイズムはガソリンエンジンと密接につながっているのだ。これが世界トレンド、地球環境に悪ければ、いいようなエンジンをつくればいいではないか。どこのだれかが言い出したような電気には乗るものか?というのがホンダイズムなのである。

 このホンダイズムはどのようにして培われてきたのか?で思い当たることある。
私がホンダランドというホンダの子会社に入社した昭和46年11月頃の親会社の社長は本田宗一郎、副社長が藤沢武夫の二人であった。会社の顔は勿論、社長の本田宗一郎であった。当時、四輪自動車分野に進出したホンダは将来有望な若い会社であった。
 私の職場は埼玉県和光市にあった。いわばホンダの頭脳の中心地である。私の中途入社日が11月1日だったので、初出勤の日、上司に何をしたらよいでしょうかとお伺いをたてにいったら。“そうだな?今、自動車ショーを晴海でやっているから観にいってくれ”
私は驚いたが最初に思ったことは“いい会社に入ったな?”であった。ただ、次の日から私の実力を試すような「しば漬」のパッケージのデザインをしたのが最初であり、自動車のデザインとは縁遠いところで私のキャリアは始まった。
その後、一月もしないで来季の新規車両の設計チームにデザイナーとしてクラシックカーのデザインと設計をすることになった。私が入った会社はホンダの傘下にあったエンジンを使った乗り物の遊園地である鈴鹿サーキットや多摩テックに納める車両をデザイン,製作する会社であったからである。ただ、そうはいっても実際に量産する、乗り物のプロトタイプなどのデザイン設計も時々、行っていたので仕事としては何をつくれと言われるのか?エキサイティングな毎日であった。
そして、そのエッセンスはホンダイズムであった。本田宗一郎が発明したホンダイズムがどのようにして社員一人一人に植え付けられたのか?考えてみれば、あれかな?と思う一つが。確か火曜日の午前中に席に回ってくる回覧板の「先週の本田宗一郎の言葉」であった。そこには先週の本田宗一郎が言ったこと、判断したことなどが書かれたものであった。今から考えるとそこからいわゆるホンダイズムを嗅ぎ分けて、我がものとせよというようなことなのである。
 後に本田宗一郎が世界的に有名になって本田宗一郎に関する本が書店に並ぶことが多くなったがわれわれはその何年も前からシズルな彼の言葉を毎週、読まされたのであった。

そうは言っても、後に本田宗一郎に関する、回覧板には載らないようなエピソードを読むと本当か?と思うような記事に出くわすことが多々あった。その中で一番驚いたのは飲んだ席で本田宗一郎に悪態をついた芸者に腹を立てた彼がその芸者を二階の窓から放り投げた話であった。ところがその芸者は電線に引っかかって命拾いした話である。普通なら
本田宗一郎は殺人の罪で刑務所暮らしをしたのでHONDAがどうなったかわからない。
それについて今でも本田宗一郎は運を持っている人物と思わざるを得ない。でも、よく電線にひっかかったな?と思ったがもし本当なら、芸者は着物、それも袖の長い着物を着ていたのでその着物が電線に絡みついて地面に叩きつけられなかった?良きにつけ悪きにつけ運を持っている本田宗一郎である。後にバスの中でその芸者と鉢合わせをして
“あら、ソーさんお久しぶり”言ったらしいが天下の本田宗一郎もその時ばかりは穴がったら入りたかったと述べている。ただ、このismの話は例の回覧板には載っていない。
                          2024年12月16日T>I
                                 

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