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Column

秋期旅行2024

 毎年、京都旅行を年に2回敢行するのが我が家で続いている。元気な証拠でもあるので、元気なうちは続けたいものである。
 ただ、ここ何年かは最初の日に天気が良いことを条件に京都に荷物をおいて奈良観光に一日を費やすことになっている。本当は奈良に一泊したいのだが気に入ったホテルが見つからず日帰りになってしまうのである。何年か前に有名な奈良ホテルに宿泊したのだが、京都の定宿である京都ホテルオークラと比べるとあらゆる点で劣るのであった。ここで一番困ったのは、好みの夕食を食べることができないことであった。理由はホテルでしか食事ができないことで、そこのメニューは純粋のフルコースメニューしかないのであった。  
たとえば今夜はカレーライスか?軽くそばでも?ということが許されないのである。
もし、そのいずれかを食べたければ、駅の近くまで歩くか、TAXIを利用しないと、それらのお店には行けない。その夜は私たちは何が出てくるかわからないようなフルコースを高い料金を承知で注文したのであった・・・・それ以来、奈良は日帰りだね?ということになってしまったのである。

 京都を見つくした感がある私たちだからこそ奈良もいいものであることに最近気づいたことは確かで、一番感動したのはあの風土である。同じ寺院でも飛鳥寺と京都の清水寺では趣がまったく異なる。
 飛鳥寺はまさにどこの街にでもあるような小さなお寺である。確かに飛鳥大仏は古い仏像であることは分かるが、それだけのモノであった。私はお寺の裏に蘇我入鹿の首塚があるというので行ってみた。首塚自体は畑の中の飛び地のような場所に小さな石が立っているだけで、その説明版を読んでも、その価値は感覚的には伝わってこない。
 しかし、そこから目を上げてそれを取り囲む風景は見るとその景色に私たちは圧倒された。そこには1500年前の奈良の景色、というより大和の景色が広がっていた。
そうか?これが日本の原風景なのだ・・・と言わせるような景色の中に自分たちがいたことに気づいたのであった。あとでそんな話をしたら、家内もそうだったので
“奈良って。凄いところなのだね・・・・”というような妙な感慨を覚えたのであった。
自然の風景でこれだけ凝縮したものを観たのは初めてである、グランドキャニオンでもこうはいかなかったのでこのような体験こそ奈良の醍醐味なのであろう。
 
 それを考えると奈良で寛げる宿舎を探すことが決め手かもしれない。しかしこれが意外と難しい。泊まってみないとわからないからである。京都ホテルの場合はもう15年くらいはお世話になっている。部屋も2522という部屋であらゆる点で自宅のような気楽さで、家内の場合は三食、夫のメニューと調理から免れるという最大のメリットがあるからだ。
 確かに京都ホテルは足の便も、超いいのである。ホテルの下に地下鉄が通っており、目の前が京都市役所という関係もあるのか京都市内のどんなところにも行けるようなバスの停留所が目の前にあるので、市内のどこにでも均一料金で行くことができるのである。また、数分で歩いて王将の餃子も食することができる・・・・!のだ。
まさに年寄りの観光客・・・・そうそうそれからTAXIがいつも待機しているので呼ぶ必要がない。これが重要で最近は流しのTAXIなど走っていないので、至極便利である。今から考えると高齢者時代を予期したような・・・自由旅行が実現できるのである。
                           2024年12月9日TI>

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