寺院に見学に行く。見学者は寺院にとってどんな存在なのだろうか?この場合、いわゆる寺院側が入場料をとっているところの寺院について言っている。一般的に見学者はお金を払って見に来ているのでいわゆる美術館やデパートの8階にある催し会場に来る観客、もしくは寺院以外の歴史的建造物たとえば二条城やベルサイユ宮殿のような気分で鎌倉のE寺やZ寺、覚園寺を見に行くのだろう。
では、それを受け入れる側はどうなのだろう。たとえば美術館の場合、私がメモを取るために万年筆もしくはボールペンを出して何かメモをしているのを見かけた係員は静かに近寄ってきて、ガラス越しに展示してある絵や文書にかかわらず、ペンを使ってはいけない理由を説明して代わりに鉛筆を使うようにお願いするのである。注意された私はガラス越しだから大丈夫でしょう?と思ってもマニュアル通りにお願いに来る若い女性の言葉に了解の旨を伝えて鉛筆を借りることになる。多分、いわゆる液体を介しての筆記用具はNGなのである。私はその理由に承諾しながらもそれを注意してくれた若い女性に悪い感情を持たないものである。そこにはお金を払って観に来てくれた見学者への感謝とリスペクトを感じるのでそんなに悪い気はしないものである。
では京都や奈良、鎌倉の寺院のそのあたりの対応はどのようなものなのだろうか?わたしは以上の3つにある寺院は年に何回か出かけるのでよく拝観する方である。とくに鎌倉は地元なので気に入った寺は必ず毎年一回はお参りに行くことになる。
ただ、思うに京都、奈良、鎌倉の寺院の参拝者に対する態度や姿勢が若干違うような気がしないではない。京都や奈良の寺は訪れる人を迎えてくれるという感じがするのだが鎌倉の寺にはそれが薄いというよりも何か悪いことをする輩が来たというような意識を持っているのではないかと思わせるように感じることがあるからだ。
冒頭に掲げた3つの寺ではそんなことを実際に体験をしたので35年も住んでいるがここ20年くらい行っていない。その横柄な態度に私は同じ市内に住むものとして恥ずかしさを覚えるくらいである。
たとえば美術館の若い女性係員と違い寺の場合、見学者と接するのは僧侶や修行僧だったので彼らにとって見学者は寺を荒らしまわる異物としか見ていないのだろう。彼らの言葉遣いにも“お前それが金を払って参拝に来た人に対する言葉遣いか?”と言いたいくらいである。わたしはやくざのアジトに間違って入ってしまった市民のような気がしたものである。
覚園寺は年に一度「黒地蔵縁日」というのが8月10日にある。これは8月9日の夜半過ぎから10日の正午までお参りできるという、年に一度のみのお参りできるという縁日である。
したがって意を決して行かないと行けるものではない貴重な縁日なのである。私は明け方の3時頃、出かけてお参りに行った。覚園寺はあまりポピュラーな寺ではなく、確か四宗兼学の寺院であることが入り口の案内板に書いてあったことが記憶に残っていた。wikで調べると律を中心に天台、東密(真言)、禅、浄土の四宗兼学(律を含めて五宗兼学)という珍しい寺であったのだ。
この寺が印象に残った理由は堀米庸三という鎌倉に居を構えた歴史家の本を読んで、鎌倉の魅力のようなものを教えられ、それが多分に私が鎌倉に住むことになったドライバーになった気がしていたからであった。その本の中に彼の奥さんが亡くなられた際に覚園寺に墓地を求めたという記述があった。彼はその本の中で鎌倉に住む楽しみをいくつか紹介している。「鎌倉の藪歩き」などは今でも私は時々楽しんでいるくらいである。
そんなことから鎌倉に越した際に覚園寺に行ってみるのが念願であったのだが、黒地蔵の朝、まだ暗い寺内を歩いて、どうも、順路を外れた方に行こうとしたらしく、それを見つけた、かなり高位の着飾った僧から文句たらたら怒鳴られてしまったが、「お前!物の言いようがあるだろう」と思わせるような反応しか示せないような言い方であった。
それ以来、この寺は私の中の「鎌倉三悪寺院」のトップとして不動の地位を占めているのである。正確には五宗兼学という一貫性のなさが問題の根源なのでこんな僧がいるのか・・・・?あとで意味づけしたものであった。
ちなみに鎌倉一とだれにも推薦したい寺院は鎌倉五山の第一位の建長寺である。けんちん汁が大好物だったからではなく。この寺にはまず訪れる人は皆善人であるという意識が寺全体に溢れているのである。
気に入っている理由は開山の蘭渓道隆の素晴らしさであり、寺全体に七百年前の開山の人柄そのものが訪れる人への好意につながっており、寺内が広いだけではなく鎌倉アルプスまで及ぶ半僧坊権現なども寺域にありながら海まで見えるスケール大きさなど。鎌倉の魅力を詰め込んだような寺院であるからだ。まさに開かれた寺院なのである。
2024年11月4日T>I