念願の運転免許証を取得して今年で50年と言う記念すべき年である。
当時でもいい若い者が28歳まで運転免許証を持っていないということは珍しかった。まして、自動車会社に勤めていたいい若者が、である。そんなことから入社すると免許証を取る環境は万全だった。まず、仕事中に大きな顔で教習所に通う特典があったので仕事中に自由に教習所に通うことができた。また、教習所のレインボーモータースクールはHONDAの関連企業だったので従業員割引があったので他の人より安く通うことができた。あと、教官が同じHONDA関連の社員であるということから、何となく仲間意識があってリラックスして教習を受けることができた。
しかし、私はHONDAに入社してから免許証を取るまで2年くらいの間があった。そして取らざるをえなかった理由は会社の近くにある様々な製作会社に図面通りに物が出来ているかなどを定期的のチェックに行かなければならず、その時々に他の社員仲間を駆り出さねばならないことが限界に来たことであった。だいたい、木型屋さんや部品製造会社は埼玉県の僻地にあったから自動車でないといけないところがほとんどだったのである。
教習所には成増駅から教習所のバスが無料送迎をしていたのでそれに乗って荒川のそばの関東一の大きな教習所に通った。その時は後から入社したK氏と一緒だったので時間が合うと一緒に行ったり帰ったりして、互いの進捗などの情報交換をした。彼はエンジニアだったので私より教習期間も短く、私より早く免許証を取得した気がしている。それ以来、彼とは今でもメールのやり取りはしているし、初めて彼の自動車で「ルート66」ドラマを身をもって体験した。東北一周の旅に出かけたのである。その体験は今でも忘れられない。カーナビのない時代、そんなにガソリンスタンドもなく、宿泊先も相応の街に着いたら現地の旅館に飛び込みで泊まらせてもらったのであった。その時の彼の車の三菱COLT1000はハッチバックの中々いい車であった。
私が免許証を取るとすぐに近くにあった月光レンタカーで車を借りて、家の前に止めて、初めて人を乗せたのは母であった。自動車好きの母は喜んだ。楽しそうによく見るような場所を何度も何度も回ったものであった。母の弟の伝次郎さんは山形県庁の車庫長を務めた人で戦時中は戦車部隊にいて、戦後は自動車やトラックで東京まで出向き公務を行ったので当時の栗子峠のトンネルの話などを半世紀以上も前に聞いたはずなのに今でも耳に残っている。いわゆる一般道でアスファルトの道路ではなかった時代の話である。
その伝次郎さんの家に母の死期が迫った年末に母を連れて何日か過ごさせてもらった。その時の車が一緒に免許証を取ったK氏から買った車のコロナマーク2であった。帰りに米沢の雪道で路肩の吹き溜まりに突っ込んで動けなくなり、見知らぬドライバーからシャベルを借りて脱出した、母が親切なドライバーにお礼をしたのを覚えている。ガンで余命半年と言われたが結局2年の命をもらったのでその車で母を東北や、佐渡、善光寺、京都、そして鎌倉などに連れて行った。車が好きな母は病気療養中でありながら病気のつらさを忘れるようだったので、日帰りでも休みの度にいろんな所に連れて行ったのを覚えている。その鎌倉に連れて行った際に車の中で“こんなところで眠りたい”と言ったことを覚えていたので私は母の墓を鎌倉に建てたのであった。そして、その何年か後に私は鎌倉に居を求めることになった。
母を乗せた車はみな何万キロも走ったような中古車であったので現在のBMWのような高級車ではなかった。でも、今、健在ならば97歳くらいなのでBMWだから喜んだというわけではあるまいがその新車の匂いは分かったと思われる。ただ、この車、決して高齢者に優しい車とは思えない、ミシュランのタイヤは固いし、フルタイム4WDのそれは乗り心地がいいとは思えない。一見、BMWの高級車のように見えるがいたってラフ対応がなされた車種なのである。したがって、米沢の雪道で路肩の吹き溜まりに突っ込んでも自力で脱出は可能である?
17年前にBMWはよくこんな車を出したなと思ったが、今から思うと、その頃、BMWの牙城を脅かしつつあったアウディクワトロへのカウンターパンチのために開発した車のような気がしている。したがって、かねてからフルタイム4WDのセダンを欲していた私にはピッタリであった。
当時BMW328に乗っていたので買い替える時期に330Xiを指名すると販売店は東北と北海道の販売店に問い合わせて北海道にあった理想(ボディカラーは黒、ファブリックシート、サンルーフ付き)の330Xiを北海道から取り寄せてくれた。もう17年も乗っている。現在では多分、日本に一台の希少なこの車は17年間ガレージ付きの車庫に待機しているのでスーパーの駐車場で見るその車は新車のように輝いている。
これだけの車なので燃費はいたって悪く、どう見ても3000CCのエンジンを積んでいるとは思えない小型車であるが凄いポテンシャルを持っているのである。私はいたっておとなしい運転をするが実はカーチェースが大好きである。と言ってもYouTubeで見るのが!ブリットのステーブ・マックィーンの運転するMUSTANG MACH1とDODGE CHARJER とのカーチェース,あのサンフランシスコの坂道を下る際に空中に飛び出すシーンや緊迫のせめぎ合い、MUSTANGのエンジン音の素晴らしさ・・・また、バニンシングポイントのDODGE:challenger。そして今となっては古典の部類に入る007―GOLDFINGERのASTONMARTIN:DB5 ・・・しかし、もう80歳に近い運転手にはそれ以上の危険な運転シーンがあるのだ、高速道路上の逆走である?これには多分、さすがのマックィーンも俺には出来ないというに違いない!
免許証更新まで、あと二年、80歳で更新だがこの暑さの中を近くのスーパーに家内を歩いて行かせるのはカーチェース以上の危険な道中なのであるからもう少し現役の必要がある。
2024年9月30日T>I