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Column

フジコ ヘミング

この日本を代表するピアニストのドキュメンタリー番組が放映されていた。観るつもりがなかったが引き込まれて最後まで見てしまった。一時間半の内容でこの稀代のピアニストの92年間の生涯を回想した番組であった。彼女は今年それも数か月前に亡くなったのだ。
 いわゆるクラシックのピアニストでこれまでポピュラーになった人を私は知らない。このピアニストは特徴的な記号を持ったピアニストであった。まず、シンボリックな彼女ならではの十八番を持っていた。「奇蹟のカンパネラ」というリストがパガニーニのヴァイオリン曲をピアノ用に編曲した曲とともに多くの人々の記憶に刻まれたのだ。
 その構造はまさに本人しか歌えないオリジナル曲をもった歌謡曲の歌手のような構造で世界の人々から愛された稀有なピアニストであった。
 また、彼女は風変わりなスタイルと容貌とべらんめえ口調の話し方でその存在のすべてが人々の記憶に刻まれた。それが日本だけではなく、ヨーロッパやアメリカにも多くのファンを惹きつけた理由かもしれない。彼女は生涯を独身で通し、20匹をこえる猫と暮らしていた。ともかくその猫たちは彼女の家中にたむろしており、彼女が亡くなった後はどうなるのだろうか?などと妙な心配をしてしまう。彼女は彼女の財団の所有物なのでその猫たちはその後もこれまでと同じような待遇で生きてゆくことができるのであろう。余計なことだがこの財団は今後、彼女の残した素晴らしい遺産からの印税等のいろんな意味でフジコが永遠に生き続けられるのである。

 彼女のwikを見るとその人生のスケールの大きさに我を失ってしまうほどである。そしてなんとも古風な香りがする人生なのである。まず、生まれる前からスケールが大きい1931年にスウェーデン人画家の父とピアノ留学中の日本人の母が結婚。から始まっている。1931年という年代。戦前の日本に妙なスケールを感じてしまう私は例のリヒャルト・ゾルゲが暗躍していた時代と国際的なスケール感を感じるのだが、まさにそんな時代になんと、ワイマール共和政権下のドイツ・ベルリンで誕生する。
 ワイマール共和国には何とはないノスタルジーを感じてしまうのは、多分、バウハウスをめざして創立した私の最終学府に通学した頃、どこかで「ワイマール共和国」という本を拾って、友人に見せたところ学識の高い彼が妙に関心を示したので何かデザインに関係があるのかと思ったが当時はそれ関連を調べる手立てもなく、今でも我が家の本棚に飾ってあるがこのワイマール共和国はまさに人類の理想国家をめざしたが何とも皮肉なことでそこから人類史上最悪のナチ帝国が生まれたのであった。
 ただいずれにしても1931年のその頃は間違いなくヒトラーが活躍中の頃なのであろう。
そんな時代のエトスが渦巻いている場で誕生したピアニストであるが、まさに彼女の人生やその死は何となく生まれた年や場所から組み込まれた運命を感じざるを得ない。しかし、それゆえか、彼女の人生やその最後を暗示させてしまうのである。三ヶ月の療養を経てピノに向かった彼女はいくつかの音をピアノで鳴らして、静かに鍵盤蓋を下ろした。その姿は静かだが劇的であった―もう終わりよ。と言っているようであった。

彼女の十八番である「奇蹟のカンパネラ」はフランツ・リストがニコロ・パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番ロ短調の第3楽章をパガニーニが弾いたその演奏を見て感動したリストがピアノ曲にアレンジしたのであるが、この稀代の3人の音楽家の頭の中を通りすぎるたびに洗練され、感動が加味されて圧倒的な力となって多くの人を魅了するのであろう。
その最終翻訳者であるフジコヘミングはパガニーニの発想とリストの感動を私たちの心にわかりやすく伝えてくれるのである。
その彼女は放映された中で自分が亡くなったら真っ先にパガニーニとリストに会って、自分の演奏について聞いてきたいとの話が出た。このあたりはあの境地に行った人だけが話しあうことができる内容なのだろうと思うが彼女はその時を楽しみにしているようであった。でもそれはなんとなく可能のような気がしないではない、
どうなのだろうね?彼ら何語で話し合うのか?など俗世での心配をしてしまう。しかし、何度も何度も話し合っているのだろうと思う。なぜならば彼女は真っ先に彼らを訪ねたからだ・・・・彼女の冥福を心から祈りたい。
                           2024年9月23日T.I

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