近所のスーパーマーケットとドラッグストアに家内とともに毎週足を運ぶ。以前は家内が自分で運転してスーパーに行っていたのであったが免許証を返納したため私が乗せていくことになった。それでなくとも以前の仕事で商品のパッケージデザインをする機会が多く、仕事もかねて店頭に並ぶクライアントの商品、ライバル会社の商品等の調査兼買い物をしたからであった。
パッケージデザインのインパクト、ライバル商品の分析、棚における位置づけなどをみるのが仕事である。したがって、調査分析のフェーズでは数店のスーパーマーケットを回って、マイクを使ってメモをして自宅に帰り分析結果などをまとめたものであった。
その癖はどうも体質化したようで御贔屓のブランドとライバル社のブランドの比較をして強み弱み等をつい!まとめてしまう。そして、昔、お世話になったクライアントの商品は良い、悪いにかかわらず自分なりに対応策などをあれこれ考える。
今日も冷食のラザニアを買ってほしいと言われ、結局、購入したのがMN社のブランドであった。と言うのが私はこの二社が合併する前の二社ともお世話になり、M社でもN社でも、社長直々に大変お世話になったからであった。
しかし、社長にお世話になったからと言って、仕事がすべてうまくいったのかと言うとそうではなく逆に社員には疎ましく思われることが多かった。その結果、社長が変わると仕事も終わったことが多々あった。
理由は私たちの仕事はいわば社員の方が本来やるべき面白い仕事であったのでそれを外部の業者がやることが面白くなかったのではないかと思っている。また、その仕事はうまくいっても上手くいかなくとも居心地の良いものではなかったというのが正直なところであった。しかし、厳密に言うと私たちの仕事でも高度に専門性の高い仕事に対しては社員の方々は最初から線引きがされているのであまり問題は起きなかった。たとえばデザイン開発の仕事。それはアイディアからデザイン開発、最終の印刷に回せる原稿の制作まで社員の方々はできないので彼らはデザイナーと言う職人に自分の意見を言って、方向づけてデザインをしてもらい最後に承認をとるといういわばディレクションと言う役割で十分満足したからであろう。
ところがマーケティング戦略の立案と言う私の分野の仕事はそうはいかない。
まず発端の依頼与件の確認がある。これは大きな仕事では担当者、中間管理職層、意思決定者などの意見を聞いて、本質的なニーズや決定基準などをまとめる。その次はライバル商品についてまとめ、消費者およびユーザーの潜在的ニーズを探り、購買決定要因を導き出す。
そのあたりを勘案してマーケティング戦略を提案するのだが、この辺りの仕事はややもすると担当の社員のやるべき仕事なのである。したがって、我々のその提案を意思決定者の役員が聞いて了解しても、担当者にしてみれば自分でもわかり切ったことに対して金を使って外部の人間が提案することが面白くないのである。
以前、ある乳業メーカーの人が何らかの大きな決断をするための提案を世界的な戦略立案会社にお願いした。その仕事に対して支払ったお金は?千万円であったらしい。その人物はその提案プロセスと結果、そして費用を私たちに話して。そんな結論は最初から分かっていたよ!と言ったが、その仕事の結果とプロセスに対しての戦略立案会社の提案内容と費用、時間に対しての不満であったのだろう。
ただし最高意思決定者は一つの意思決定について社内の担当者と外部の戦略立案会社の結果が同じならば彼の職分の中では万全な意思決定につながるので彼の仕事の重要なサポートになった、したがってそこに支払った?千万円は無駄ではないと判断したのであろうが、担当者にしてみれば自分が一番わかっているし、正しい判断を下せると思っているので、そのことはストレスとして澱のようにかれの心の奥底に残るのであり、その後の戦略立案会社との関係が微妙に変わってくることがあった。
名うての広告代理店なら優れた営業が接待して、担当者のガス抜きをするのかもしれないが小規模な戦略立案会社では経済的理由と道徳的理由からそこまですることを良しとしない。それに、小規模な会社ではそのあたりに長けたスタッフは在籍していない場合がほとんどである。
今から考えると私の職業人生の半分は以上のような仕事であった。そこだけを考えるととんだ分野の仕事をやっていたものだと思う。救いはそれでも思ったとおりにクライアント企業の業績向上に貢献できたという満足感である。したがって、スーパーに行くとつい店頭でそのような思い出の商品を見てしまうのであるが?
2024年8月5日
スーパーマーケットでの回想
24.08.05
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